ぽつん。ぽつん。室内に響き渡る水の音にじっと耳をすませてほしい。

ガラスの球体からからゆっくりと落ちた水の雫が、室内に水紋を描き、音を奏でる。水面にあたる光の反射とサウンドシステムで、空間全体に音が拡張されていく。水の音に耳をすまし、水の波紋が映写される様子を見つめ、たっぷりと時間をかけてじっと心を鎮めてほしい。 
          
これは、インスタレーションやパフォーマンスによって分野を跨いだ活動を行うアーティスト、梅田哲也による作品だ。贅沢に作品と向き合うことができるインスタレーション空間は、このホテルならでは。作品に込められた意図を、アーティストの言葉で話してもらうとしよう。

ーー梅田哲也さんに来ていただいています。今作品空間に二人で座って話しているんですが、この空間のタイトルと、簡単な概要を解説していただけますか。

タイトルはそれぞれ違うタイトルでして。元々つながったタイトルだったんだけど、二部屋つくったのでそれぞれに分けて、タイトルをつけたということだったと思います。

ーーこの空間のタイトルが、304号室が「だれのものでもない水」、404号室が「なにもみえない場所」ということで。

元々お話をいただいたときにアイデア、プランを出したときに、上下に二部屋がつながっている作品のアイデアを出したんですよね。そのままいってたら、上の部屋から水が垂れて下の部屋に溜まっていくみたいな作品になったじゃないですか。

ーーおっしゃられた、水浸しのプランだったんですよね。

もしそうなっていたら上の304号室が「水が溜まる部屋」で、下の404号室は「水が垂れていく場所」で、結果どうなっているか見えない場所になっている。それを引きずってできたタイトルだと思います。元々は。

ーー上下階でつながっていた場合に、上の階と下の階の機能がそのままタイトルになったと。

そうです。そこは最終的に着地点として、そういう風になっていたんだけど。元々のタイトルの理由と作品というか…なんでしょうね。実際、ここに人が寝泊まりするわけじゃないですか。その日、その晩だけはその人のものになるわけじゃないですか、この作品空間が。だから自分のものではないという意思があるし。

ーー実際に空間をつくるうえで、出来ることと出来ないことがある中でコンセプトだったり、やりたいことが深堀されていったり、具体的になっていったと思うんですけれど。その過程の中での思考のプロセスや、制作のプロセスのことで共有できる話があれば、お伺いしたいです。

最初はどうだったかなぁ…。どうでしたかねぇ。最初に出した上下に二部屋がつながっているプラン以外に、3つぐらいプランを出していて。でも水浸しのプランが一番やりやすいぐらい、ホテルの宿泊機能を無視したようなプランだったんですね、どれも。最初にそういったプランを出してみて、それに対する反応を伺うじゃないですけれど。まだホテルの建物自体が建っていない状態、「建築家が部屋の形をつくるところからやります」ということだったので、じゃあその条件でしかやれないことを提案しようと。建築家の人やチームの人に失礼にならないようにできるだけ基準みたいなものは勉強しながら、プランを考えて提出して。

僕はそこで話がなくなるという可能性も考えていたので、むしろそうならないと頭おかしいんじゃないかみたいな。だけどちゃんとリアクションがあって、「やりましょう」という話になった。これからお互いの折り合いがつくポイントを限界まで探る、みたいな話になっていくんだろうなと思いながらやっていましたね。

ーープロジェクトの性格みたいなものを自分なりに解釈されて。ボーダーラインを探っていく作業になっていったわけですね。

でも、いつもそうなんですよ。僕のつくり方がデフォルトでそういうところがあって。それは別にどこでやろうが、あんまり変わんないですね。今までやっていた劇場での作品もそうだし、美術館で展覧会をする場合もそうだし。その場所に起因する慣例とか習慣とか、レギュレーションみたいなものが必ずあるじゃないですか。ああいうものって、なぜそういうふうになったかということに動機づけがあって、理由があって。色んなことを経て、経て、そういう風になってきているわけですね。今、違うことを持ち込んだときにそのレギュレーションみたいなもの、やりたいことと規則みたいなものを改めて問い直す作業をやることで、別の創作的な視野というか。クリエイティビティみたいなものが、どんどん立ち上がっていくようなプロセスを重要だと思っています。

ーー関係者サイドでも場というものを見直すきっかけになる。意外とファブリックな場所でインスタレーション作品を実現しようとすると、完成する前に生まれるクリエイティビティの魅力を僕も感じることがあって。作家として活動する初めの方から、ビジョンは見えていたんですか?やりながら、感覚を掴んでいったんですか?

言葉にしていったのはやりながらだと思いますけど。最初はもうちょっと無自覚にはみ出したというか、やっちゃった後に怒られたりとか。最初の最初はそんな感じだったと思います。それを「あり」にしていくために、色々やりようもあって。例えば作品を持ち込んでやって、終わった後にすっごい怒られたんですよ。自分はいいんだけど作品とかクリエイションに関わった人に、申し訳がたたないじゃないですか。だから、溜めてくんですよ、どんどんどんどん。浮かばれないというか、この場で成立させてやろうというみたいなところを溜めていくんですよ。自分の中でのモチベーションみたいなものを。

ーー水というものに対する印象というか、思い、何か理由でもいいんですが。お伺いできればと思います。

水は、ものすごい根源的なものじゃないですか。エレメンタルな要素で。透明だし、色がない。だから見立てとして色んなものと結びつきやすいっていうところで、僕は素材として扱いやすい。素材として扱いやすいというとね…。

ーー作家として純粋に扱いやすいものが、建築的には使っちゃいけないもので。今の話は全体に通じている話ですね。

だから建築だけじゃなくてね。展示でも、美術館でも、劇場でも、やっぱり難しいですよね、水って。水に限らずエレメンタルと言ったけど、そういう要素は全部扱いづらいんですよ。人工的なアーティフィシャルなものの方が、受け入れられやすい環境であって。でも人工的なものって各個人の見立ての中での振り幅というところでいくと、やっぱりエレメンタルなものにはぜんぜん及ばないんですよね。

水自体は簡単に変化するじゃないですか。熱で気化したり、冷やすと簡単に固まるし。それでもって、きれいだしね。世の中にあるもので一番、きれいなんじゃないかって思うんだけど。日本だとどこにでもあるし誰にでも手に入るんだけど、そこをわざわざ演出して見ることを意識…しないけどね。みんな水好きだし、毎日水飲んでるし、お風呂入ったり、手を洗ったりするだけじゃなくて。川や海の近くに行ったり、住んだり。そんなことをみんなするんだけど。ものすごく生活と身近なところにあるんだけど、わざわざありがたがって見ないというか。…なんか違うなぁと思いながら今、喋っていますけど。

多分、文脈が違うんですよね。素材として水を扱うということと、水そのものの見え方を同時に喋ろうとして。よくわかんなくなっていますね。

ーーその二軸で話すと、素材としては美しいけれど、同時に「NO」と言われる素材であるということ。単純に美しさというところ。人間にとっての水という存在の、普遍的な…

そっちですよね。僕は実家が熊本なんですけれど、今まさに大雨で大変なことになっているじゃないですか。水って必ず人の生活に必要でなくてはならないんだけど、それがきっかけで命を失ったり、生活がめちゃくちゃになる存在でもあるじゃないですか。漂流して水の上に放り出されるような環境って、何よりも恐ろしい。深い水の底に入っていくような感覚って、ものすごく恐ろしいし怖いんですよね。存在が。それがないと生きていけないのに、何よりも恐ろしいもの。

ーーこのインスタレーションに関わっている、水以外の要素。光であったり、動力となっている電力であったり。これらについても解説があれば。

光と電気というところで言うと、本来は動力源。光って目で見えるものだから、アウトプットされている要素ですよね。目に見える要素と動力源としての電気とか。この展示、ものすごく重要な要素としたのは重力ですよね。重力と遠心力。そういったものを物理現象としての力みたいなものが、それぞれ作用しあって動いている。すごい曖昧なバランスで動いているわけですよね。電気っていうのはライトのスイッチをいれるとか、珈琲を沸かすときとかに、わざわざ意識しないんですよ。でもこの展示を見ていると、意識してしまう。

多分僕のインスタレーションとか作品の特徴の一つとして、すごくそれはあって。仕組みとかは同時にむき出しで見せてしまう。さっきの建物の話と同じで。建築構造ということを意識させる導線を、目を誘導するきっかけとして作品があるというのと同じで。本来だったらプロジェクションされている…プロジェクションってプロジェクターじゃなくてね。照らされている像の部分が作品だって言ってしまえば成立したのかもしれないけど、それがどういうプロセスを経て、こういう風に出ているかというところも全部見せてしまう。

最終的にミクロとマクロを行き来するというか。何がきっかけでどういうことが立ち上がって、ここの部屋の外の何かにまでどんどん連鎖して及んでいっているんだよっていうことを、想像の中で展開していくと楽しいじゃないですか。だからそれぞれが、素材、マテリアルっていうことで言うと「何でここにコーヒーのサイフォンがあるんだろう?」「スピーカーがくっついちゃってる」とか、「ここから音を拾っている」とかそういうことを仕組みとして拾っていくときに、それぞれが何かしらの役割を持っていて。

ーーひとつひとつが働いているという感じが、認識できますよね。

ただ、その働きの目的がわからないんですよね。でもこういう線で見ていると、僕らが自分でしている働きもよくわかんなくなってきますよ。「なんでわざわざ掃除しているんだろう」とか「毎日コーヒー飲んでるんだろう」とか。当たり前としてやっていることも、違った見え方をするきっかけになるかもしれないし。ナンセンスな物がとっ散らかった風景に一見、見えるんだけれども、それぞれの機能と役割を持っていて。その結果を手がかりとして残していっているっていう、そういう世界ですよね。

ーー今後どういう活動をしていきたいのか、何か展望はありますか?

僕はあんまり変わんないですね。どっちかというと、自分が扱った活動の在り方みたいなものが、ちょうど有事のときというか。「今、何を、どうやったらいいんだろう」というときに、割とマッチしやすいようなことをやってきたということもあって。だからそこで活動を止めるという選択肢はないし。企画としてはもちろん止まっちゃったりもするんですけど。今がどういうやり方をしようかということなんで。この先ということではなかったりするんですけど。

以前とは全然違うものですからね、環境が。だからそこを踏まえてつくるというのは、変わらないので。テーマとしては大きくなるし、クリアするべき問題も大きくなるし、今までと同じやり方をしようとは、まったく思っていないですけれど。ただ、止めちゃいけないなぁとは思うので。自分がやることは、ひとつひとつやっていこうかなという感じですね。

ーー梅田さんが今ある環境に対して、自分ができることをアプローチしていくという意味では変わらないけど、テーマとしては…

僕の大好きな作曲家が曲を作っている最中に亡くなって。追悼の気持ちでヘッドホンで曲を繰り返し聞いていたら、小さいなと思いますけどね。「すごい人はすごいな」って思いながら。でもみんなのものだっていうことで言うと、自分もその末端にいるはずなんで。みんなでやりましょうよ、という気持ちですよね。

ーー最後に、ここに宿泊されるゲストに向けてメッセージを。

けっこう意外とね、お水が落ちていますから。意外とそれがね、集中出来ますよ、色んなことに。ありがとうございますっていう感じです。よくぞこの部屋を選んでくださったという感じですよね。奇特な方だなと思います。

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