月の光が部屋を満たす。あなたがこの部屋で見ることのできる景色は、高瀬川を舞台とした能楽 『融』の一場面だ。

この部屋を手がけたアーティスト、中野裕介は文学・漫画・伝統芸能などに触発され、「模型遊び」をベースに多様な形式の作品を発表している。この作品は、当ホテルのすぐ隣を流れる高瀬川を舞台とした能楽 『融』の一場面を”箱庭”として再現しており、人工大理石やカーペットなどの建築材を月や芝生に見立てて用いている。

部屋に入ってぐるりと部屋を見渡した後に、入り口右手にあるコントローラーで室内の照明を切り替えてみてほしい。照明を切り替えることで、物語前半の「青い」月光が照らす満潮時の光景から、後半の真夜中から明け方にかけての「白い」月光の世界へと移り変わる。情景が鮮やかに転変する能楽「融」の世界へとあなたを誘ってくれるだろう。

アーティストはどのようにしてこの世界観を作り上げたのだろうか。その言葉に耳を傾けてみよう。

ーーまず、自己紹介をお願いいたします。

「中野裕介/パラモデル」でいいですか。これまで「パラモデル」という二人組のアーティストユニットを、名前を決めたのは2003年なんですけど、ずっとやっていて。最近は個人活動が多くなっていて、「/パラモデル」と、ユニット名をおしりにつけてやっているんですけど。やっているコンセプトとか、活動の流れはその中にあるので、自分では同じかなと思っているんですけどね。

ーーパラモデルとして、中野裕介個人として、どういった作品をつくったり、どういった活動をされているんですか。

どんなことでも思いついたことができるように、と始めたユニットではあったんですけど。二人でやっている間に、小さい男の子がプラモデルとか、おもちゃとか、模型を持ち合って遊んでいるかのような内容が僕らにはあるなぁということで。そんなことに途中から気づいたりしながら、本当におもちゃとかプラモデルを作品に使ったり。そういう遊びの中で生まれてくるニュアンスを大事にして、やってきていて。

その中で一番大きいのは「プラレール」っていう、誰もが知っている、青いプラスチックの鉄道模型で…

ーーおもちゃの電車が走るレール、ですね。

それをある時、思いついて作品制作に使いだして。今回のようなインスタレーションとか、空間的な作品をつくりだして、というのがあって。その作品は割と、みんなに広く知られたかなと思うんですけど。

ーー元々は、プラモデルとか模型を使おうとした訳ではなくって?

そういう訳ではないですね。「プラモデル、おもろいなぁ」と、途中で気づいたんです。当時はまだ、その辺りにプラモデル屋さんがあったので、20年前ぐらいですけどね。お店に行って、子供心を思い出すかのように、わぁわぁやっていたのが、原点にはあるかな。

ーー僕はソロの活動をスタートしてから知り合っているんですけど。ソロの制作に関しては、コンセプトが伝統的なもの、例えば、能などを題材にされているんですけど。ソロの活動になって変わった部分、大事にしている部分について教えてください。

2010年に大きい展覧会があったんですよ。ちょうどその展覧会が終わってから、元から本が好きなんだけど、図書館で働きだしたんですよ。芸大の非常勤の講師をしながら、図書館のバイトやけどね。司書のバイトをやりだして。本を読む機会ももっと増えて、「こんな本もあったんか」とか、知識が増えるんですよね。「まるで図書館って、宇宙の模型みたいやな」、「本って情報の模型みたいやな」みたいなことを思ったり。改めて本という存在についての気づきや愛着がでてきて。興味や関心を制作にもっと使えたらいいかなぁというので。わかりやすいプラレール的な作品の展開もしつつ、そっちも深めていこうみたいな。

ーーそういう感覚が融合して、この部屋になっていった気がするんですが。こちらの部屋のタイトルが長文ですよね、圧倒的に、長文ですね…。この部屋のタイトル、コンセプト、成り立ちについて説明してください。

図書館で働いて、本を読み込んで作品をつくるというスタイルが、無意識にでてきたんだけど。それと共に、展覧会を依頼された時に、その場のことを調べたり…

ーー場所。その会場や、場、土地とか?

そうそう、地域資源と言ってもいいかもしれない。歴史、記憶…その場にある記憶みたいなことを、大事にしていきたいなと。そういうことを調べるのが楽しいので、それを制作に活かせたらいいなという考えがあって。美術でいうところの「サイトスペシフィック」という言葉がありますけど。プラレールのインスタレーションは、サイトスペシフィックの最たるものだったんですが、それはわかりやすい形で、物質的というか空間的な意味で、その場に合わせて作品をつくっていく。それと僕は同じだと思ってるんですが、ちょっと違うモードでサイトスペシフィックなことをやっている、という意識ではあるんですね。

ーー場の記憶ということを、テーマに?

とか、歴史とか、あらゆるものが含まれるけど。僕、実はこの近所で20年ぐらい前に、バイトしていたんですよ。その頃、この辺りをよく散歩していて。その頃は、この土地の歴史を調べるということはなかったんですが。このホテルを南に下った所、五条通りを越えた所に「五条楽園」という、今は営業していはらへんけど、遊郭地帯があったんですよ。そこを散歩するのが好きで。何というか…歩けばわかるんやけど。営業はしてないからひなびた街みたいな感じやけど、すごく味わいがあるというか。深みもあって、やばさもある。

ーー遺産になっている古い建物の風情というのもありますし。後は気配ですかね…。

その圧倒的な存在感が気にいっていて。そういえばこのホテルのすぐ近くやなと。サイトスペシフィックというか、地域のこと調べるという自分のスタイルも出来つつあったから、それやったら、また五条楽園に行ってみようかなと思って、歩いたんですよ。今はちょっと様変わりしてましたけどね。おもろい場所なんですけど。その通りに入っていくわかりやすい場所に、「源融 河原院跡(みなもとのとおる かわらいんあと)」っていう石碑がぽんと建っていて。でっかい木があって、見るからに怪しいんやけど。「これ何やろうなぁ」って調べたら、昔、五条楽園とほぼ同じ地域に「源 融」 という貴族の邸宅があったと。「それもうちょっと調べてみよう」って調べていたら、この能楽の「融」という話がでてきたんですよ。「源 融」が主人公の能楽があったんやと。このホテルとほぼ同じ地域を発祥にした能楽あったんだなぁと。

ーー能楽のストーリーというか、演舞の1つの舞台が、ここにあったんだと。

「世阿弥」なら、みんな知っているんじゃないかな。彼らが書いた、伝統的なものとしての(もちろん生成変化もしながらの)、決まった演目があって。僕は前から好きだったんですよ、能楽も。よくよく見に行っていて。実は、能楽の違う演目を使った作品もあるんですけど。しかも「融」という演目を、一番最初に見たんですよ。能楽を知る、きっかけとして。

ーー「融」は、有名な演目なんですか?

そこかしこでやっている演目ではないと思うんですが。僕が見たのもテレビですよ。厳島神社、広島の。海の中にある能舞台で、満月の夜に「融」をやっていたんですよ。めちゃくちゃそれが良くて。すごい印象に残って、それで能楽が好きになったんやけど。だから石碑を見た時に「これやったんや!」と。それだけでこれを使おうと思って。「何とかできへんかな」ってつくったのが、この作品なんですよ。

ーー 一見ポップな、いわゆる模型遊びのコンセプトというか、つくり方に基づいた世界になっていますが…

厳密なルールがあるわけじゃないねんけど。幾何形体というかね、このシンプルな「〇・△・▢」の形を解体したぐらいの形でつくろうかなと思ったんです。その形が壁面に展開している。これはつくりながら考えていたんですが、壁面を作っていく中で、スタンプをつくってやろうかなと。プラレールを貼りつけることは、やりたくなくて。プラレールと似たようなシステムで、スタンプをペタペタ押していったらどうなるかなと、遊んでやってたんですよ。

ーーこの月も素材は人工大理石で、例えば床も石畳に苔が生えたような絨毯。これは、箱庭的な表現の仕方だと感じました。それはどういう解釈…

箱庭…プラレールはわかりやすいかなと思うんですけど。プラレールを広げて、トンネル置いて、山を置いて…ジオラマみたいになりますよね。

ーー小さい世界、ミニチュアの世界を疑似的につくるっていう…

その模型の世界に入り込む、ジオラマの中に入り込める…みたいなことですかね。単純なことですけど、追体験できるような。

ーーベッドカバーが水面を表現していたり、それに反射した光が天井に写っていたりだとか。

月の光が移り変わるような照明にしたんですが、真っ暗になった時に違う展開になればいいなと。蓄光塗料を使って、違う図像が浮かび上がってくるような形にしたり。実は、色んな仕掛けがあるんです。

ーー石のオブジェと、そこに乗っている建築現場の車の模型。これはどういうものなんですか?

石は本物で、めちゃくちゃ重い石なんですよ。これは「融」の物語の中で、源融の邸宅が五条の河原にあったと言ったけど、邸宅の中に、塩釜の模型を色々たくさん置いて、日々楽しんでいたという記述があって。

ーー邸宅の中にあったのも、「模型」なんですね!

源融が、東北にある塩釜の名所を思い出して、「こっちにもつくるぞ」と言ってつくったもの。それこそ、「お金持ちの模型遊び」なんですよ。

僕の解釈した物語をいったん解体して、つくりました。壁のそこかしこに、幾何形体と文章をスタンプしています。テキストも散らかして遊んだので、この部屋に来た人が、また、その言葉を組み立てて遊んでくれてもいいかなぁと。部屋にはが、能楽「融」の本があるので、調べてくれてもいいし。そんなことなんですけどね。僕らが遊んだ後、ということは言えるかな。

ーーあと、壁面にくっついている車についてですね。天井に逆さになっていたり…

これも昔から、作品に使っていたりするんですけど。プラレールのインスタレーションから始まったわけではないんですけど、「ミニカー使って作品つくろうか」みたいな流れが元々あって、プラレールのインスタレーションでもミニカーを置きだして、くっつけだして。実際に見てもらわないとわかりにくいかもしれないけど、プラレールのインスタレーションは、部屋からプラレールの道が広がっていくんです。ぞれが図像的でもあるし…

ーー床から壁から、立体的にプラレールがつながって、のびていって。うねうねと線が…

(ベッドの紋様を指して)これはプラレールの線を模しているから、このノリなんですよね。それを二人で図面を引いたりしながら、制作していて。それって終わりがない行為なんですよ。「つなげつづけよう」と一定のルールを設けてはいるけど、どこまでもつながるんですね。端っこはあるけど、いつまでものばせるし、時間がある限りやってしまうし。広すぎて間に合わないからぼちぼち進めていくわけです。そんなことを繰り返していくうちに、「広すぎてインストールや展覧会中の期間中に終わらへん」みたいなことが起こってしまう。それで公開制作という形で、展覧会中も作品をつくる状態にもなってきて。

で、ある時期からそれを逆手にとって、「終わらない工事現場を作りたい」「終わらない遊びをしたい」ということちゃうんかなと思い始めて。ある時期からそれを言い出したんですよ。だからクレーンの模型は、わりとシンボリックやけど、置いたり。ここは生成する現場というか、工事現場で僕はいいと思っているんやけど、アンダーコンストラクション…の状態でいたいな、という話なんです。実際そうじゃないとしても。

ーー子どものおもちゃで遊ぶ模型遊びって、そもそも完成するものを見せるよりも、つくることそのものが遊びですもんね。

いつまでもプロセスの状態でいたいなとか、完成の前段階にいたいなというか。

ーー303と403、2つの部屋の対比について解説いただければと。

能楽「融」の物語の中では、前半が月の青い光、後半が白い光に変わるんです。後半の源融さんが踊るシーンでは、白めのきれいな着物を着た、白い光の場面になると。その移り変わりが面白いなと思って。2部屋手がけるとなった時に、「同じ部屋でもいい」と言われたけど、ちょっと変えようかなと。変えすぎるのも大変やから、ちょっとしたアレンジで二対になればいいなと思って。303が「青」、403が「白」を基調とした部屋にしました。きれいな反転ではないけど、ほぼ同じ図像を使って、反転しているようになればいいなと思ってつくっています。

ーー物語の前半、後半にでてくるシーンに関連づけて考えている。

そこは関連づけていますね。自分の制作の中で、プラレールの制作を経て、図書館で働いていた時期と重なるんですけど、青焼き図面を活かしながら、グラフィックというか、絵の作品もつくっていたんですよ。「青焼き」図面ってわかる?昔でいうコピーの仕方。建築図面とか住宅図面とかでよく使われて。大量に刷って、みんなに配布するためのコピー。写真の現像と同じ原理で。その青焼きという方法を使って、作品をつくっていた。基本はトレーシングペーパーに黒い鉛筆などで描いた線を現像すると、青い線で出てくる。やけど時期によって薬品や方式が変わっていて、昔は黒で描いた線が白い線で出てきて、それ以外の部分が、青がでてくることもあったと。反転していたんです。まさに青焼き。その青焼きがあったから、反転という考えは割と自然なことだったんです。

タイトルの中に「へトロトピア」という言葉が入っているんですよ。それも今、改めて考えると大事なことだったかなと思っていて。ミシェル・フーコーという哲学者がつくった言葉なんですけどね。「ユートピア」に対して、「へトロトピア」。ユートピアって理想郷で、リアルな世界にはないという風に設定されている。へトロトピアはそうではなくて、訳すことも難しいし、色んな言われ方をしているんですけど。「異在郷」とか「非場所」とか「反場所」とか色んな意味があるんです。現実にあんねんけど、リアルとは違う場所。そんな場所のことを指して言おうとしていたんですね。

ーー実際に場所自体は、物質世界の中に存在はしている?

異世界、パラレルワールドでもいいかもしれないし、あんまり限定はされていないんだけど、いわゆるリアルとは違う何かを持っている場所ということで、フーコーが挙げているのは、美術館、精神病院、療養所…、フーコーは監獄の話が有名なんですけど、監獄だとか。演劇、映画、庭園、学校も含まれる。売春宿も。もっと政治・権力的な所まで広げると、植民地とかも含まれてくる。フーコーが構想していた概念なんですよ。でも、定義づけも何も進めることがないまま、フーコーは死んじゃったんですよ。へトロトピアは、彼の思想史の中である時にぽんと出てきて、あまり深められないまま消えていった概念なんです。

フーコーは「権力への異議申し立て」みたいなことで、この言葉を使おうとしていたんじゃないの、と。そこを僕は面白い部分やと思っていて。途中で放り出された概念、へトロトピア。それを僕らが受け継いで、勝手に広げていけばいい概念でもあるし、へトロトピアが持っているイメージ自体が、面白いとも思う。まさしく、五条楽園とか河原院跡だってへトロトピアなはずだし。もっといえば美術館もそうだと言われているけど、このホテルのアーティストがつくった各部屋も、へトロトピアであろうと。異世界、反場所であるというか。過激化しようと思えばできる。そういうところはわりと好きなところなんで。

ーーへトロトピアへようこそ、ではありますね。

そうですね。異議申し立てとまではいかなくてもいいけど、「違う見方しようぜ」みたいな。観光産業を疑っていましたけど、僕は元々。今回も、ホテルという観光産業には乗っかっていますけど、それを違う観点で見ようぜとか。

ーーここに宿泊されるゲストの皆さんへメッセージをお願いします。

基本的には、皆さんに自由に受け取ってもらったらというのが、まずはありますよね。そこから、今、延々と話をしていましたけど、色んな要素が詰まっていると思いますので、本を読み解くもよし、図解を読み解くも、空間を読み解くのでもいいけど、そういう風に広げてもらったら、色んなところに接続していけるんじゃないのかなと思います。そういう楽しみ方をね、観光で来るということでしょうけれど、そういうレベルの観光もあるんじゃないかな。外に出て色んな名所・観光地をまわる、それもよしですが、この部屋ではまた違うレベルの観光をしてもらうというのが面白いんじゃないでしょうか。

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