誰もその姿も声も知らない、架空の存在 “Mr.X”。この部屋は彼の寝室として制作された。部屋には、彼が立ち去った気配だけが残されている。

天井を見上げると、そこには56億7千万年に一度、眠りにつくMr.Xが夢うつつの中で眺める“ 庭 ”がある。この部屋を訪れたあなたも、Mr.Xとともにこの庭を眺めることができるのだ。Mr.Xの夢の中へと繋がるこの部屋で、暗闇に深く揺らめく光と影とともに眠り、彼の気配を感じ取ってほしい。

この部屋を手がけたアーティストのSaiは、“陰翳礼讃”という日本人独特の美意識からインスピレーションをうけ、光と影を主とした作品を制作しているアーティストだ。Mr.Xとは何者なのか。Saiから話を聞いてみようと思う。

ーー自己紹介をお願いします。

私はSai (サイ)という名前で、エンボスという版画の技法で人の感情をモチーフに表現している作家です。

ーー実際に形作られるものは、エンボスでとおっしゃいましたが、彫刻になるんですか?

あくまで平面の範疇でして、凸凹ですね。一ミリに満たない凸凹をつけて、陰影を生みだすっていう。まぁ単純な。

ーー金属?

金属と紙と。もう一個、流し込んで、左官というかキャスティングみたいなものもします。

ーー今回のアートルームについて、解説をいただきたいんですが。まずタイトルが「Mr. X の現な庭」ということで、どういったコンセプト、意図があるんでしょうか?

元々、「Mr. X」という擬人化されたコンセプトがあるんですね。アートディレクターの大垣ガクさんが主催されているギャラリーの。その空間で起こるハプニングとか、面白い人との出会いとか、そういうものの仕業をしているのがMr. Xであると。元々はその部屋の、コンセプトだったんですよ。

ーー元々大垣さんが主催されているスタジオにある、ギャラリーのコンセプトだったんですね。

それが面白かったんですね、僕。そこで個展の依頼を受けた時に、「Mr. Xとは、何ぞや?」と思ったんですよ。その「Mr. X」を解体したくなったので、個展では「Mr. Xは、線と線の交わるところ、出会いである、もっと言ったら今である」と。すごく禅的なイメージを受けたんですね。

ーーMr. Xは、今、この瞬間であると。

一番難しいんですよね、今を認識するのは。

ーー認識しようとしたら、過去ですもんね。

みんな苦しんでるのは、過去と未来で苦しんでいて。今のことはおざなりになっていると。禅の世界でも今を認識する、今の感情をみにいくっていうのが、座禅の世界なんですけれど。じゃあMr. Xって、常に今である。だけど「擬人化された彼を誰も見たことがない」とガクさんがおっしゃっていたので。出会いを象徴するMr. Xなのに、誰とも会えないっていう、そのもどかしさも僕にとってはすごい好物だったので。

ーーMr. Xを分解して見つけていったペルソナが、Saiさんのとっては好物だったんですね。

ガクさんが考えたコンセプト以上に、個展でインスタレーションとしてつくったんですね。ガクさんいわく、「ギャラリーは、Mr. Xの執務室だ」と。それで、このBnAの部屋を手がけるというお話をいただいたときに、「じゃあ、Mr. Xの寝室をつくろうか」という話になりまして。

この部屋の天井にあるのは、「浄闇」というシリーズなんですけれども。ホテルの制約された空間でいかにインスタレーションをするかと考えたときに、「天井に庭をつくってしまおう」という風に考えたんですね。判を全部「X」の字にして。

ーーこのエンボスは、すべてXの字が重なりあっていって、こういう凹凸が生まれているんですね。

浄闇というシリーズなんですが、「清浄な闇」と書くんですね。浄土の「浄」に「闇」。というのは何かと言うと、僕は根源的に物質以外の要素、質量もそうなんですけど。時間も全部そう。それは闇から全部生まれる、という風に考えていたんですよ。そう感じていたものを「浄闇」。そこから光が生まれる。

この部屋も浄闇から生まれる反射光を、まずは作品として提案したいなと思ったんですよね。

ーー寝室に逆さの庭があり…と言っても、おそらくその世界では「まっすぐ」も「逆さ」もない世界だと思うんですけれど…

そうです。「虚」も「実」もないですね。

ーーただ天井に庭があって、実空間にはその反射光が「見えるもの」として現れてきているという感じでしょうか。

ここで言ったら闇のこの大きな作品から光が注いで、このモビールから影がこっちに注ぐ。作品単体というよりは、光と影が主役の作品。

ーーMr. Xのペルソナについて、Saiさんの解釈を教えていただければと思います。

Mr. Xは、全部のジレンマなんですよ。皆さんの中にもいらっしゃって。そのジレンマで、老いと若さが同居していたり、出会えないけど、彼は出会いたいという状況とか。今もコロナの影響で、会いたいのに会えないじゃないですか。ジレンマを持っている方が、人の感情は濃くなるんで。

彼は生きていても、死んでいても会えるんですよ。彼は「滅」まで持っているんで。光と影は、滅なんですね。時間軸も違うので、彼は眠りたいけど眠れない。彼は56億7千万年に一度、眠りにつくんですね。ミーティングでは、みんなにポカンとされましたけど(笑)。この天井にある、濡れたような黒い場所は「浄闇」。これは池なんですけど。この池の向こう側から、Mr. Xは見ているんですね。お客様が眠っているときは、彼は池の向こう側から空間を共有しているという感覚です。あの世とこの世の間から。

ーーじゃあここは、鏡映しの部屋のような場所でもあるんですか?

そうですね。虚実というものはあるんですけど、それがどちらとは判断できないんですよ。彼が「虚」なのか、僕たちが「実」なのか、誰も言えないですね。

ーーいづれにしても出会えず…会いたいけど会えない。56億7千万年…

これは弥勒菩薩が私たちを救いに来るであろうとする年月から、とっています。その時間軸を、永遠という意味で。

ーー確かに。施工の段取りを作っているミーティングでそのコンセプトを投げられたら、デザイナーや施工会社の人は「は?」となるかもしれないですね(笑)。

あの空気も、僕は大好物なんですよね。あれはMr. Xが通った瞬間ですね。

ーー現実なのか、夢か現か。

皆が現実…施工の段取りの話をしているときですね(笑)。

ーーディレクターの大垣さんは、「Saiさん自身が、Mr.Xなんじゃないか」って言い始めていて。そういう存在になっているのかなと思いました。

ーー「老いと若さ」というところがメタファーとして、もしくは解釈の手助けとして、その要素が部屋の中に散りばめられていると思うんですけども。その辺りの解説をいただいてもいいですか?

メインの作品以外に、レディメイド(既製品)を浄闇と同じ塗装で真っ黒にしたものがありまして。真っ黒な竹の杖が無造作に壁にかかっていたり、あとは振り切ったメトロノームですね。あれは止まっているんじゃないんですよ。56億7千万年に一回、振るんですよ。あれは動いてるんですよ。あとは真っ黒な子供の積み木ですね。黒い液体は入っている哺乳瓶であるとか。作品なんですが、レディメイドからとったエッセンスをこの部屋には点在させています。

ーーまさに「今しかない」ことや、56億7千万年という時間軸を象徴させるものであったり。老人を象徴する杖や、赤ちゃんの哺乳瓶だったり。そのジレンマがオブジェによって見えてくる仕掛けになっている形ですね。天井に吊ってあるモビールについても、ご説明いただけますか?

モビール作家の方に制作を委託したんですけども。ガクさんと僕はこれを「ベッドメリー」、赤ちゃんのベッドの上に吊るされている、カラカラなる遊具。これをMr.Xが見ると、ちょっとよろこぶんですね。眠りにつけないんですけど。

ーー眠りの象徴でもあり、若さ、赤ん坊の象徴でもあるものが、影として表現されるツールでもあり、ジレンマの象徴でもある…

ーーエンボスを作品の手法にした理由、経緯をお伺いできればと思います。

僕は大学のころに版画を学んでいまして、不良学生だったので、通常の作品をあまりつくらなかったんですよ。銅板ゼミだったので、銅板もやっていたんですが、お金がないっていうのもあるんですけど、人の使った後の銅板を使っていました。人の使った銅板の裏って、ボコボコでガサガサで、めちゃくちゃ良いまっ茶色だったんですね。無作為で、すごい美しかったんです。そこにインクを詰めて、版画を刷っていたんです。

ーー不良学生です(笑)。

でもそれを禅の方に言うと、すごく禅的であると。もう使わないものでつくる。いまだに僕の永遠のテーマでして。つくってはいけないと、いつも自分に言い聞かせていますね。無作為である、自分を無くすという。難しいんですけど、いつも心に置いていますね。版画のインクがあまり乗らなかったときに、紙に写し取られた方が美しかったんですよ。その辺りから凸凹がすごく気になりだして。そこがきっかけですね。

ーーそこから、意味や美しさの根源になるものを掘り出して、禅に行き当たったり…自分の考えが広がってていったということだったんですね。「無作為」「つくらない」というキーワードがでましたが、これからどういった活動をしていこうというお考えでしょうか?

この部屋もそうなんですけど。インスタレーションをつくってはいるんですけど、何を一番の目的にしてしるかというと、瞑想の効果を持たせたいんですよ。その空間に入った人が、自分を忘れる、時間を忘れる。その状態になってほしいと制作をつづけていまして。今後はもっと、精神を病んでる人であるとか、その手前にある人であるとか。健全な人もそうなんですけど。もっと心地よい空間をつくって、いったん自分を忘れる、そういう場所をつくっていきたいですね。

ーー京都をホームグラウンドにされているSaiさんですが、宿泊したゲストに向けて、京都のおすすめの場所を教えていただけますか。

なぜ「Mr. X の現な庭」というタイトルにしたかと言うと、庭って我を忘れる瞬間をくれるんですね。そこでいえば、真冬の詩仙堂。あと、真冬の圓通寺。この二つの庭は、素晴らしいです。

ーー僕はまだ行ったことがないんですが、どの辺りが真冬におすすめしたいポイントなんでしょうか。

庭って基本的には、街に向かっていたり、借景に向かっているんですね。詩仙堂は、街に背を向けているんです。自分を癒すための場所であって、武将であった人が色々あって、ここに凹凸窠(詩仙堂の正式名称)いうものを設けたんです。凹凸…エンボスにもつながりますね。自分の癒すための庭をつくったんです。もっと言ったら、そこは詩ですね。言葉とつながりがあって。そこが良いのは、冬に傾斜にあるので、朝日の木漏れ日が差し込むんです。チンダル現象というのがあるんですが、それが蒸気で光線になるんですね。それが起こるんです。その瞬間、全部が、時間も自分自身の場所もなくなって。あの体験は…皆にしてほしいですね。朝は人も少ないんで。

ーーこれを聞いた方は、ぜひ早起きして向かっていただきたいですね。おススメの場所だけでなく、京都の街そのものについての考え、感じ取っている部分があれば。

僕なんかが京都を語っていいかというのは。京都に長年住んでる方は、全員、そう言わはるんですよ。僕も20年ぐらいしか住んでいなかったので、言えないんですけど。離れてみて、より思ったのは、京都は街というか、大きなプラットフォームみたいなものですね。みんな絶対停車して、行き交って、出会って、また離れていくけど。海外からも、国内からも戻ってくる。絶対に咀嚼できない街なんですけど、それがすごい魅力で。もっと言えば、現代の「拡散していく街」ではなくて、インフラとか人の生活、文化、経済がぎゅって集まった、世界中どこにもない「不思議な街」ですね。

ーー今お話を聞いていて、都っていう言葉がぴったりくると思ったんですけどね、僕は。

僕が一番好きなのは水のインフラですね。鴨川とか、疎水とか、インフラ整備しているんですね。僕は上賀茂っていう地域にいたんですが、そこには「賀茂一族」という水の守り人がいたんです。わかりやすいところで言えば、上賀茂神社ですね。それと下鴨神社。彼らは、「鴨川」じゃなくて、「賀茂川」を守っているんですね。昔、御所に抜ける疎水があったんですよ。そこの水は汚さないように守っていて。もっと言えば、志明院という能とかにも出てくる場所なんですけど。要は大河の一滴で、源流があるんですよ。そこの人たちは、土葬しないんですよ。

ーー水が汚れるから?

隣の山まで行って火葬するんです。生活の用水を汚さないように、ますを大きく掘るんですね。下水を流す前に「ます」っていうのがあって、そこにヘドロを溜めるんですけど、それが巨大なんです。雲ケ畑の村だけ。水の守り人という人たちがいて、皇室の直轄地やったんです。水の整備、インフラと、外敵から守るお城というか、要塞として機能していたので。掘れば掘るほど、面白い街ですね。

ーー伝統的に水のインフラがあるっていう。

生活と祈りですね。神社であるとか、そういうところが賄っていた、司っていたんですね。

ーー現実的な政策として水のインフラ、都をつくる機能が整っていたんだと思うんですが、今聞くと神秘的な魅力を感じますね。

ーー宿泊されるゲストへ、メッセージをお願いします。

現代アートって、制作している本人も、見る側も理解できないから「良い」と僕は思うんですね。ただ、Saiの作品では、Saiを感じてもらう必要はなくて、何も全部忘れて、光と影の中に身を置いてください。それが一番理解できるというか、腑に落ちるような体験ができると思うんですね。寝ぼけながら見ている光とかそういうものを、皆さんの心の中に持ち帰ってもらえたら一番、僕は成功しているなという風に思います。

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