縄文時代の終わりごろに各地で作られはじめたストーンサークルは、しかし、一斉に放棄されていく。そして、弥生時代がはじまる。大陸から渡ってきたとされる弥生人は「稲作」という革命的な武器を持っていた。そして、西日本から数百年かけて遠く離れた東北の地にまで到達する。が、縄文人は弥生人に駆逐されたわけではない。むしろ、絵の具が混じり合うようにゆっくりとひとつになっていった。その証拠に、現在の日本人のDNAを解析すると、10〜50%ほどは縄文人であるという説もある。もっといえば、東北では米が育ちにくいので一度は稲作にトライしたものの、再び縄文時代のような狩猟採集の生活に戻った人たちもいたという。少なくとも歴史とは「縄文時代から弥生時代へ」と簡単に語れるものではないのである。
稲作のはじまりにより人は土地に縛られ、階級が生まれ、戦争がはじまり、現在につながっていくことは知っての通りである。その意味では縄文時代は失われたもうひとつの可能性。もしも縄文時代の先にある未来を進んでいたとすれば今、どんな時代が待っていたのだろうか。
西日本より東日本で縄文時代が栄えたのは落葉樹林が多くて木の実がたくさん採れたからといわれる。さらに落葉樹林帯は冬に葉っぱを落として大地を栄養豊富にして、春には山菜を芽吹かせてくれる。それは今でも変わらない。この地域の人たちは山菜の季節になると「あの場所に採りにいかねば」と、熊が出るにも関わらず山の奥へ奥へと踏み込んで行ってしまうという。それはまさに縄文のDNAが騒いでいるということなのかもしれない。
ON THE TRIP 編集部
文章:志賀章人
写真:本間寛
秋田県 観光振興課
※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。