滝というと、水が豪快に流れ落ちているイメージがないだろうか? 箱根の小涌谷にある千条(ちすじ)の滝は、幾筋もの水が苔むした岩肌のうえをサラサラと白い糸を引くように流れていて、その様子は繊細で品がある。

この滝に惚れ込んだのが、小涌谷に「三河屋旅館」を構えていた榎本恭三さん。明治時代に、私財を投じて滝にいたる道やその周辺を整備してから、初めて注目されるようになった。

千条の滝の存在が知られるようになると、静かな雨音にも似た滝の音が、「女性的」と言われるようになった。女性的といえば、歴史が深い箱根には女性にまつわる悲しい言い伝えがある。そのひとつを、紹介しよう。

その昔、伊豆生まれのお玉という女の子が、江戸に住むいとこの家に奉公に出ていた。しかし、そのうちに伊豆の実家が恋しくなったのか、奉公先を抜け出した。伊豆の家に帰るためには、東海道を歩くしかない。その道には、関所がある。

関所とは、江戸幕府が人の出入りを管理するために設けた検問所。当時は特に、江戸に銃が持ち込まれることと、人質がわりに江戸に住まわされていた大名の妻が江戸から逃げ出すことを防ぐるために、厳しく取り締まっていた。

江戸から外に出るためには「通行手形」が必要なのだが、お玉は持っていない。そこで、関所を通らず、脇の山を越えようとしたものの、張り巡らされた柵に絡まって、抜けられなくなった。そこを関所の役人に見つかり、捕まってしまった。

関所破りは、江戸時代の刑罰のなかでも重い罪で、取り調べの結果は死罪。これを哀れに思った役人がいたのだろう。本来、関所破りは磔(はりつけ)の前例があったが、お玉はひとつ刑が軽い打ち首とされた。

その後、かわいそうなお玉の話は箱根で語り継がれ、お玉が捕まったとされる付近には「於玉坂」という坂の名前がついた。また、その近くにある「なずなが池」は、「お玉が追手を逃れてこの池に身を投げた」とか、「処刑されたお玉の首を洗った」などと言い伝えられ、いつしか「お玉ヶ池」と呼ばれるようになったそうだ。

Next Contents

Select language