夕方になると、箱根の町に流れるチャイムの音。これは、『箱根八里』。箱根を通る旧東海道の険しさを歌詞にしたこの歌がどんな経緯で生まれたか、ご存じだろうか?

福沢諭吉、夏目漱石、島崎藤村、川端康成、与謝野晶子、志賀直哉……。明治時代から昭和にかけて、誰もが一度は耳にしていたことがあるだろう著名な文化人たちも、箱根の温泉に足を運んでいた。

音楽家の滝廉太郎も、そのひとりだ。肺結核を患い25歳の若さでこの世を去るが、「もういくつねると お正月」のフレーズで始まる『お正月』、『はとぽっぽ』『雪やこんこん』『荒城の月』など、今もよく知られている歌の作曲を手掛けた。

若き滝廉太郎が訪ねたのが、芦之湯にある1715年創業の「美肌の湯 きのくにや」。きのくにやによると、滝家の親せきがきのくにや8代目の次女と結婚したのが縁で、宿泊したそうだ。この滞在中に作曲したと言われているのが、『箱根八里』。

もともと、『箱根八里』は東京音楽学校の教師で作詞家の鳥居忱が作詞したもので、歌詞が難しく、誰も曲をつけられないだろうと言われていた。ところが当時、東京音楽大学の学生だった滝廉太郎が見事に作曲をして、名を挙げたと言われている。

この『箱根八里』、今では箱根町民のソウルソングになっている。1976年、箱根町役場が体力づくりを目的に、『箱根八里』の歌に合わせた「箱根体操」を開発。NHKの体操のお兄さん、柳川英麿さんが構成したこの体操の解説を各家庭に配布し、定期的に練習会を開くなど本腰を入れた活動で、すっかり町に根付いた。

どれほどかというと、箱根町役場では今も毎日15時になると放送で『箱根八里』が流れ、箱根体操が行われている。また、箱根の小中学校では、今でもラジオ体操の代わりに箱根体操が行われており、箱根町出身の子どもたちはラジオ体操を知らずに育つという。

箱根で、これほど町民の間に根付いている歌はないだろう。そこで今回は、地域の共同浴場、亀の湯にピンを置いた。町のスピーカーがすぐ近くにあるから、春から秋にかけては17時、冬の間は16時に鳴るチャイムの音もここで聞くことができる。
亀の湯まで行かなくても、箱根に来たら17時を意識してほしい。耳をすませば、どこからか『箱根八里』が聞こえてくるかもしれない。

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