箱根の山に響くセミの声は、ルネ・ラリックの創作意欲を刺激するだろうか。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、宝飾作家、ガラス工芸作家として数々の作品を世に送り出したフランスの巨匠、ルネ・ラリック。
1900年、40歳で迎えたパリ万博でグランプリを受賞し、宝飾作家としての名声を確立したが、その後、香水の瓶や花瓶、時計などガラス作品の制作にシフト。50代の頃には、ガラス工芸作家として人気を博していた。
さらに、パリの街灯、教会の室内装飾、豪華客船のインテリアでも才能を発揮。代表作のひとつが、「夢の豪華列車」と呼ばれたオリエント急行のサロンカーだ。ラリックがデザインしたガラスパネルやランプシェードが施されたサロンカーは、当初、パリと南仏を結ぶ「コート・ダジュール」号のために作られたが、その後、パリとトルコのイスタンブールを結ぶ「オリエント急行」でも使用された。
そのオリエント急行のサロンカーの実物や、一点モノのジュエリー、歴代のガラス作品から室内装飾まで、約1500点が収蔵されているのが、箱根ラリック美術館。ここではおよそ230点の作品が常設展示されているほか、オリエント急行のサロンカーでティータイムを楽しむこともできる。
優美な作品が多く、「魔術師」とも称されるラリックだが、実は「昆虫オタク」だった。箱根ラリック美術館でも、蝶、ハチ、バッタ、フンコロガシなどをモチーフにした作品があちこちに展示されている。しかも、昆虫の体の構造やバランスは、専門家が太鼓判を押すほど正確だという。
車のボンネットの先端を飾るカーマスコットにも、トンボを使ったラリック。ラリックに詳しい学芸員は、「昆虫のなかで最も飛ぶスピードが速いし、車のスピード感や格好良さを表すのにぴったりと考え、トンボをモチーフにしたのではないか」と話す。
昆虫オタクとしての実力がいかんなく発揮されているのは、常設展示されているセミの小箱。セミはお腹の部分が空洞で、そこで音を反響させて大きな鳴き声を出すのだが、ラリックは正確にセミの体を作りこみ、お腹の部分にモノを入れるスペースを作った。これは、セミを解剖し、よく観察したうえで、セミを表現した作品と言われる。ラリックはセミが大好きだったようで、セミが登場する作品が数多く残されている。
生まれ故郷のシャンパーニュ地方の自然を愛したラリックが、箱根の豊かな森や動植物、そして虫を見たら、なにを思っただろうか。箱根町指定の天然記念物、ヒメハルゼミの鳴き声を聞いたら、虫取り網を持って追いかけたかもしれない。