明治6年に福沢諭吉から「箱根の発展には道路の整備が必要」との提言を受けて以来、箱根では温泉宿の主人たちが中心となり、各温泉場を結ぶ道路の整備を進めていた。しかし同じ頃、政府が整備を進める東海道線のルートが箱根を迂回することとなったため、危機感を強めた小田原・箱根の人々は、東海道線と小田原・箱根を鉄道で結ぶことを計画。東海道線国府津から小田原を経て湯本間の12.9キロを結ぶ、日本で3番目の小田原馬車鉄道を開通させた。その当時の湯本駅は、現在のホテル河鹿荘付近にあり、同地には馬車鉄道の解説板がある。

馬車鉄道は80頭もの馬を抱えていたため、餌代の高騰などもあって経営が苦しい時代が続いた。そのため、早い段階から電気鉄道の導入にかじを切り、明治33年には国府津から湯本までの全線を電化、電車が走るようになった。

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