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とにかく見ていて隅々まで楽しい。徴古館2階に展示されている鳥瞰図の前から動けなくなった。一枚の絵に、外宮と内宮だけでなく、神宮の125社も描写され、その範囲は瀧原宮のある奥伊勢から南は太平洋に面する鳥羽・志摩におよぶ。

昭和4年の第58回神宮式年遷宮を記念して描かれた「伊勢神宮大鳥瞰図」は、日本全国の名所を描いてきた画家、吉田初三郎によるもの。大正から昭和にかけて、鉄道による交通網の整備が進み、庶民の間でも旅行が盛ん。そんなときの観光マップともなる鳥瞰図がブームとなって、多くの絵師が現れた。その筆頭となって活躍したのが初三郎だ。「大正の広重」とまでいわれた初三郎の作品は、芸術としての魅力も併せ持つ。

この鳥瞰図、パネルで展示されたのは、つい最近のことだという。戦争で焼失したと思われていていたが、平成7年に発見され、再び日の目を見ることとなった。この絵に加えて内宮と外宮でそれぞれ、鳥瞰図は計3点納められていたようだが、現存するのはこの一点。徴古館の建物と収蔵品の8割が、空襲により被害にあっていたのだから、残っていたのが奇跡で、まさに「おたから」である。

中央に描かれるのは徴古館のある倉田山。その右側の外宮前には町が開けている。駅舎もあり、建物も密集、門前町としてにぎやかに発展していた様子がよくわかる。また朝熊山のケーブルカーや、徴古館近くのホテルなど、今はなくなってしまった景色が見られるのも面白い。海上へ目を向けると、海の玄関口としてにぎわった港にいくつもの帆掛船が向かっている。伊勢湾を進む蒸気船からは、太い汽笛の音が聞こえそうだ。

田園風景の中に走る鉄道、往来が激しい海の航路、そして変わることなくあり続ける伊勢神宮。昭和初期にタイムスリップし、1世紀前の伊勢を身近に感じてみたい。

立体を平面で表現し、現実にはありえない風景が大胆なデフォルメにより展開される鳥瞰図。何を描き入れて何を省くか、初三郎はその巧みさが絶妙だ。描かれる対象をワンポイントをおさえておけば、見るものに伝わる。その加減ができるのが、一流の鳥瞰図絵師となる。

注目したのは、御正宮の御敷地の位置だ。この絵は遷宮を終えた状態、つまり新しくお社が建てられたタイミングを描いている。今と同じ配置図だが、お参りする御正宮がどちらにあって、そこを誰と歩いたのかといった記憶も、20年ごとに遷宮を繰り返す伊勢の神宮ならではの思い出だ。

外宮と内宮をつなぐ徴古館前の道路は、強調されて描かれる。当時まだできてまもない道。明治時代に発足した「神苑会」が、倉田山に歴史博物館の建設を計画し、戦争や経済状況により幾度か規模を変更しながらも、明治42年に徴古館は開館した。一地方都市に創設された日本初の私立博物館は、荘麗な近代建築とともに、注目を集めたことだろう。

神宮徴古館を象徴する展示品は、式年遷宮で撤下された御装束神宝。1300年続く遷宮では、その時代の材料や技法が脈々と継承されている。それは日本の文化伝統そのもの。唯一無二の博物館で、そのことを確かめたい。

ON THE TRIP 編集部

企画:志賀章人
文章:中村元美
写真:本間寛


※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

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