天女が忘れていった羽衣は、きっとこんな感じだろう。
空気みたいに、向こう側が透けて見える。
手に取ってみたら、きっともっと驚く。
まったく重さを感じないのだ。
極限まで「細さ」を追い求めた、特別な糸で織られているから。
繊細な模様は、織った後に染められたものじゃない。
違う色の糸を使って織りなされていく。
糸というより、空気を織り込んだみたい。
それは、地上に存在するのが奇跡みたいなスカーフだ。

どこまでも細く空気のように軽く

この地域では結婚式のとき、夫婦にきらびやかな布団を持たせる風習があった。武藤ではかつて、そんな縁起物を織り込んだ布団皮や、豪華な柄の座布団の生地を作っていた。しかし、生活のスタイルはすっかり変わってしまった。座布団を使う家は減ってきたし、まして、結婚式に派手な布団を持たせるなんて時代ではなくなった。それなら、これからの時代に求められるものはなんだろう。武藤英之さんが目をつけたのは、その頃流行りだしていた真四角の小ぶりなショールだった。大きくて重厚なものがもてはやされる時代から、小さくて軽いものが喜ばれる時代へ。そんな時代の流れをつかまえたのだ。

英之さんがハタヤを引き継いだ当時、中国やインドから大量の安い生地が輸入されていた。デパートに行っても日本製のスカーフは見当たらない。海外の生地に勝つためには、彼らの技術を超えていかなくてはならない。小さくて軽いショールの流行を知った英之さんは「それなら、糸の細さを追求してみたらどうだろう」と思いつく。京都や広島の紡績工場の人と親しくなり、国内の紡績工場でどこまで細い糸が作れるのか、そっと聞いてみた。どうやら、中国製の糸よりは、ずっと細くできるようだ。手で糸を紡ぐインドの技術にはかなわないが、日本の機械で紡げる限界の細さはわかった。それなら、実際にできる限り細い糸を作ってもらい、それで新たな製品を織ってみよう。

英之さんは細い糸を徹底的に集め始めた。紡績工場を見学しに行っては、「この糸より細い糸が作れますよね……?」と工場長のプライドをくすぐり、それまでは製品化していなかった細さの糸を特別に作ってもらう。それは冒険だった。市場で手に入る糸を仕入れて、それで製品を作るのが手堅いやり方だ。しかし、熱い情熱が英之さんを駆り立てた。最初にできた究極に細い糸はシルクカシミヤだった。その糸を使ってスカーフを織ってみる。その後も、紡績工場の人たちに「世界にないものをつくりましょうよ!」と発破をかけ、シルクウール・シルク麻・カシミアの極細糸を作ってもらった。もっと細い糸で織られた製品がよそにあると聞くと、「なんだと~!」と、それを超えようとして挑んでいく。

細い糸で織るのはとても難しい。たとえば、麻番手の300番、略して麻の300と呼ばれる糸がある。この細さの糸は流通はしているが、それを使って織った物はほとんど見られない。あまりにも細くて切れやすく、高速の織機では織ることができないからだ。武藤では、昭和30年代に作られた古い織機でゆっくりと織っていく。さらに細い、麻の500という糸でも織る。この糸でストールを織ると、もはや麻とは思えないやわらかさで、空気のように軽い。


現在、武藤の新たなブランドを牽引するのは、英之さんの息子である圭亮さんと亘亮さんの兄弟だ。たとえば「ちょちょちょスカーフ」という製品がある。「ちょっと巻いて、ちょっと幸せ」というのがコンセプトのこのスカーフの生地は、もともとはOEMで作られていたものだった。OEMの生地は、特注で糸からつくり、加工するところから始める。なんと、織り始めるまでの状態に糸を仕上げるまで3ヶ月程もかかるのだという。そうして長い時間と手間をかけて織り上げた生地だが、ほんの少しの傷が入っただけでも、まるまる一枚がOEMとしては売り物にならなくなってしまう。傷の部分を除けばその他はまったく劣らない上質な生地だ。そんな生地の良い部分を選りぬき、新しい商品に蘇らせたのが「ちょちょちょスカーフ」だ。残された素材を大事に使う。若い世代の感性が新たなブランドに注ぎ込まれている。

武藤では、第三土曜日にファクトリーショップが開かれる。普段は百貨店などで売られているスカーフだが、ここでは作り手の思いを直接聞きながら購入できる。そんな貴重な機会にぜひ足を運んでいただきたい。

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