海岸でも誰かが「結らい」をしているかもしれない。そんなときは「どぅくさ しもんにゃ」。「お元気ですか?」という意味なので、声をかけて輪に加わってみてほしい。
現在は海を見ながらおしゃべりするだけのことが多いが、かつては農作業が終わるとみんなで海岸に集まり「唄遊び」をすることが唯一の娯楽だった。当然、歌は掛け合いで、こっちが歌えば、むこうも歌う。いわばフリースタイルのラップバトルだ。その頃を知るおばたちは「それはもう楽しかった」と声をそろえる。
奄美に伝わるたくさんの島唄も海岸での唄遊びから生まれたものが少なくないはず。たとえば、サイサイ節。サイとは酒のことで、「サイサイサイ 酒持ち来 飲でぃ遊ば」つまり「酒、酒、酒、酒持って来い、飲んで遊ぼう」というフレーズからはじまる。さらに歌詞はこう続く。「酒を飲んでも飲まんでも80の命 ならば飲もう」まさに、海岸での結らいにぴったりの島唄ではないだろうか。
奄美には「唄半学」といって、島唄をやることは人生の半分を学んだに等しいという格言もある。では、サイサイ節からどんな教訓が得られるのか。ならば飲もう。飲んで遊んでみないとわからない。
〜秋名こぼれ話〜
窪田圭喜さんに出会えたあなたは幸運かもしれない。窪田さんは秋名のことを何でも知っている大先生。ぼくは、先生の宝物であるという「とんじゅうろうの滝」に連れて行ってもらった。「とんじゅうろう」というのは大変な不届き者で、集落で盗みを働いては山の中に逃げていた。しかし、とうとうこの滝で追い詰められて捕まったことから、「とんじゅうろうの滝」という名前がついたという。
この滝は存在こそ伝えられていたが誰も寄り付かないまま自然に埋もれていた。しかし、若かりし窪田さんが道なき道を探検をして再発見した。発見して終わりではない。比較的、歩きやすいルートを開拓するべく何度も山に潜り込んで、ようやくルートを見つけたのだ。苦労して見つけた秋名の宝をみんなと共有したいと、ときおり、人々を案内してくれる。ぼくは窪田さんのその心が宝物だと思った。ちなみに、窪田さんが見つけた当初は滝壺はなかった。しかし、2010年の記録的な豪雨のあとに行ってみると立派な滝壺が生まれていたという。自然の圧倒的な力、その変化のはやさも「はげ〜」である。