アラセツの日、早朝のショチョガマが終わり、午後になると「平瀬マンカイ」がはじまる。平瀬マンカイとは、この場所にある2つの岩の片方に琉球の神職=ノロ役の女性たちが、もう片方に神役の人たちが乗り、交互に歌を掛け合いする。そして、稲の神様を手招くしぐさを繰り返す。マンカイとは、その手を招き開くようなしぐさをあらわす言葉。さらに神様との「目合(まぐあい)」の意味もとれるという。
つまり、ショチョガマも平瀬マンカイも稲の神様に豊作を祈ることに違いはない。でも、ショチョガマが「動」とすれば、平瀬マンカイは「静」。ショチョガマが「男性的」とすれば、平瀬マンカイは「女性的」。場は静まりかえり、さざなみと歌声だけがひびく光景はとても神秘的なもの。平瀬マンカイがはじまった途端に朝から降り続いていた雨がぴたりと止んだ日もあったそうな。
このような祭りは、奄美のほかの地区でもおこなわれていたが、現在はこの秋名にしか残っていない。だからこそ、平瀬マンカイはショチョガマとあわせて国の重要無形民俗文化財に指定されているわけだが、それは一体、なぜ。
なぜ、秋名にしか残っていないのだろう?
〜秋名こぼれ話〜
奄美の南、琉球の神話に、海の彼方にある「ニライカナイ」という神の世界から「アマミキヨ」という神様がやってきて国づくりをはじめたという話がある。琉球との関係が深かった奄美でも海の彼方に「ネリヤカナヤ」という楽園があると信じられ、そこから幸せがもたらされると考えられてきた。
では、アマミキヨとは何か? 奄美から来た人と考えてみるとおもしろい。というのも、琉球王国が誕生するより遥か昔、奄美大島のそばにある喜界島が南北の物流の起点となり、九州と琉球をつないでいた。喜界島にはそのことを示す遺跡が残っているらしいのだ。つまり、喜界島を含めた奄美こそが、琉球にとって文明をもたらす夢の国であった。そう考えられていた時代があったのかもしれない。