キュウ ヌ ホコラシャ ヤ イチユリム マサリ イチムコウヌグートウニ アラシタボレ

「きょうの誇らしいこと いつもより誇らしい いつも今日のようにあってほしい」この島唄の一節は、あなたの心にどう響くだろうか。

この旅ではアラセツ行事の舞台をめぐりながら、秋名の日常にも出会えるコースをご案内した。なぜ、ショチョガマや平瀬マンカイのような風習が秋名にだけ、残っているのか。かつて奄美大島には4340ヘクタールもの田んぼがあった。しかし、近ごろでは69ヘクタールにまで減ってしまった。田んぼが減ると自然環境も変わる。そして、人間の文化風習も変わるのである。

しかし、どうだろう。秋名は奄美で唯一といってもよいぐらいの広い田んぼが残っている。いわば、奄美の原風景が残っているのだ。だからこそ、ショチョガマや平瀬マンカイといったアラセツ行事が残っているのかもしれない。少なくとも、島言葉や日常の暮らしの節々にも秋名ならではの小さな風習が残っている。

そんな秋名を暮らしながら感じられるのが、「荒波のやどり」。そう、「あらば食堂」は人との交流がはじまる起点であり、実は拠点として泊まれるようにもなっている。そうして暮らしながら旅をしてみると秋名を中心とした荒波地区=幾里、嘉渡、円、安木屋場を含めた集落の深みにハマることだろう。

代表の村上裕希さんもまたそのひとり。移住者として地域の人たちとの縁を結んでくれるはずだ。次回は、ぜひアラセツ行事の日に。もちろん、そうじゃない日も、秋名にいもーれ=いらっしゃい!

〜秋名こぼれ話〜

「アマミノクロウサギ」を見てみたい。奄美に来た人なら一度はそう思うかもしれない。アマミノクロウサギはかつて大陸と陸続きであった時代の生き物で、大陸ではとうの昔に絶滅してしまったが、奄美に取り残されていたウサギたちは外敵もおらず、奇跡的に現在まで古代の姿で生き残っているという珍しいウサギである。

なぜ、そんな話をしたかといえば、アマミノクロウサギと同じことが奄美の島言葉にも当てはまるからだ。

たとえば、「きょらむん」という島言葉がある。「美人」と訳されることが多いが、もう少し広い意味がある。「きょら」とは「清らか」という意味で、秋名の田んぼを潤してきた湧き水のように汚れのない、澄んだ心を持つ人のことでもある。おもしろいのは、万葉集や源氏物語では本土でも「清ら」が同じような意味で使われていたこと。竹取物語でも絶世の美女に成長したかぐや姫のことを「清ら」と表現している。つまり、奄美に残る「きょら」という島言葉は、かつての本土で話されていた日本語の古語なのかもしれない。まるで隔絶された島で奇跡的に生き残ったアマミノクロウサギのように。

スガおばとトシコおばから「くさとり歌」を録音させてもらった際に、なぜか、どこかで聞いたことがあるような「懐かしい」思いがした。ぼくは奄美で生まれ育ったわけではないのに、なぜか、高音の響きに揺られているうちに“いつかどこかで見た”田園風景が頭の中に浮かんでくるのだ。思い込みでも構わない。奄美に残る風景は古代日本の原風景でもあると考えたい。少なくともそのカケラが本土から遠く離れた奄美にこそ残っていたのだと信じたい。

ぼくが出会った奄美の人たちは、村上さんも、森吉さんも、窪田さんも、西田さんも、サキコおばやミコおば、スガおばやトシコおば、名前の知らないおばたちもみんな「きょらむん」だった。奄美の人たちはたとえ兄弟でなくても「裕希にい」「喜美恵ねぇ」と呼ぶ。その“結い”がうらやましいと思った。そんな人と人との距離感もまた本土が失いつつある、奄美に残された日本の原点であると信じたい。





文章:志賀章人
写真:本間寛
 声:徳島美穂

※所蔵:龍郷町教育委員会(04,07,08,Endの音源)

※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

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