「線路に寝転んで誰が最後まで残れるか。度胸試ししようよ」

終戦後の昭和20年(1945年)、北富士演習場に米軍がやってきた。下吉田駅にはジープが止まり、米軍が町の至るところに現れるようになった。“ギブミーチョコレートの時代”と言われるとおり、子どもたちに出会うとチョコレートやバターなど、当時の日本人にとっては夢のようなものがもらえたという。少年たちはコンビーフを缶から直接食べる米軍を眩しく思い、たばこの匂いに憧れた。

そして、それから30年経った昭和50年代前半。下吉田の駅には、同じく大人に憧れた悪ガキたちの姿があった。

織物を出荷する集積場だった下吉田駅。引き込み線の多さから、大量の織物が運ばれていったことがわかる。駅の横には織物や荷物を保管する大きな倉庫もあった。駅の中には「荷物受入窓口」があり、その奥にはたくさんの織物が重なっていた。

この駅は少年たちにとって溜まり場であり、遊び場であり、居場所だった。駅の横に大量に積まれたケースに入った酒の空き瓶から、「酒ぶた」を取ってはメンコ代わりに遊ぶ日々。そのうち空き瓶を盗んで、酒屋に持ち込んでお金に交換したりもした。

今は何もない駅舎内の一角には、おばあちゃんが売り子をする小さな売店があり、お菓子や飲み物、おもちゃ、少ないながらお土産物も並んでいた。そこは少年たちのかっこうの遊び場で、背中を丸めてコタツに座るおばあちゃんが居眠りするたびに、お菓子をくすねてはスリルを楽しんでいたという。

そんな彼らの、忘れられない下吉田駅でのエピソードがある。

ある日のこと、いつものように下吉田駅に集まった少年5人。誰ともなく「線路に行こうよ」と言い出した。そこへ行くいつもの目的は10円玉。線路の上に10円玉を置くと、電車に轢かれて見事にペッタンコになる。いろいろな形につぶれる10円玉をコレクションして楽しんでいたのだ。

でも、その日は違った。「度胸試ししようよ」とニヤリと笑った少年がいた。

「なにすんの?」
「線路に寝転んで、誰が一番我慢できるかやってみようよ」
「面白いね」

下吉田駅の踏切のあたりで、全員が線路に寝転び出す。ドキドキしながらそっと線路に耳を付けると、電車が近づいてきているのが分かった。ガタガタと振動が全身に伝わってくる。電車がもう、すぐそこに――。

誰が、最初に飛び起きたか。

実は、誰も起き上がらなかった。電車の方がキキーッというブレーキ音とともに急停車したのだ。そして、「コラー!」と叫びながら降りてきた運転手と車掌によって、悪ガキ5人のうち3人が捕まった。逃げきった少年たちもそのまま逃げるわけにいかず、結局は捕まった3人がいる駅長室へ。

それからは、担任の先生たちと校長先生がやってきてペコペコと頭を下げるのをじーっと見つめ、そのまま校長室に連れていかれ、さんざん絞られた。夕方になって家に帰ると、父親たちがバットを持って家の玄関で待っていたのは言うまでもない。

そんなことがあったって、みんなへっちゃらだった。度胸の据わった悪ガキたちの思い出の場所、それが下吉田駅なのだ。

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