「インスタ映え? 誰がそんなふうになることを想像できただろう!」

インターネットで「日本」と検索すると必ず出てくる景色がある。広がる桜や紅葉と折り重なるように立つ五重塔、そして広がる町並みの奥にそびえ立つ富士山。

朱色が美しい塔『忠霊塔』は、新倉山浅間公園のなかに建つ、戦没者の慰霊塔。日清日露戦争から太平洋戦争で戦死した、富士吉田市民が供養されている。公園内には650本ものソメイヨシノが植えられ、春になると桜と富士山のセットを見ようと多くの観光客が押し寄せる。

新倉富士浅間神社から忠霊塔まで続く「咲くや姫階段」は398段もある。神社の祭神であるコノハナサクヤヒメから命名された。実は数年前までは一段少なく397段だったのだが、桜の名所なのに「咲くな」ではよくないだろうと、スタート部分を1段増やしたという裏話がある。

裏話ついでに、忠霊塔が建てられた場所についても触れたい。当初は、現在の忠霊塔のとなり、小舟山を削って平らにして建てる予定だった。ところが削ってから調べてみて、びっくり。地盤が弱く、五重塔を建てられるような場所ではなかったのだ。そうして急遽、別の場所に建てられたのが今の忠霊塔。

忠霊塔が建てられるまでは何もない山だった新倉山。忠霊塔ができてからも、夜になると人っ子ひとりいないため、悪ガキが集まったり、大人にとっては逢引の場所でもあったんだとか。それが今や、年間何万人が訪れる観光地になるとは!

さて、忠霊塔が建てられたのは昭和37年(1962年)4月。その頃の下吉田はどんな町だったのだろう。

ON THE TRIP 編集部

企画:志賀章人
文章:ウィルソン麻菜
写真:本間寛


※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

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