この旅で、いちばん印象に残ったシーンは何だろう。
旅をしていると一瞬の風景や情景が頭に焼きつくことがある。写真には撮れなかったけど、心の中にまるで一枚の写真のように残るであろう一枚絵。そんな忘れられない風景を、誰もが旅の終わりに1枚は持っているのではないだろうか。それはどんなシーンなのか。今、思い浮かべてみてほしい。
どうして、そのシーンが心に残っているのだろう。もしかすると、あなたが本当に求めているもの、その答えが隠されているかもしれない。そして、そのシーンは、どんな次なる問いを投げかけているのだろう。
今はまだ、ぼんやりとしたかたちのないものかもしれない。それをかたちにするためにも、誰かに手紙を書いてみてはどうだろう。そして、あなたがこの旅で気づいたこと、隠岐の風景を見ながら学んだことを伝えてみてはどうだろう。きっと、ペンを握って一文字目を書きはじめることで、旅の断片が思いもよらぬところでつながったり、言葉にならない気持ちが言葉になることがあるかもしれない。
それは、自分への手紙にもなるはず。そんな小さな隠岐をぜひポケットにいれて持ち帰ってもらえたらと願っている。
拝啓
キンニャモニャ。ずっと気になっていた民謡を島の人が歌ってくれました。ボイパならぬ口三味線をしながら歌ってくれたその声は底抜けに明るくて海士町の気風があらわれているみたいでした。
キンニャモニャとは、「キン」が金、「ニャ」が女、「モ」が物で、「ニャ」がない。つまり「金も女も何もない」という意味だとする説もあるようですが、続く歌詞は恋の歌になっていたりして、どうも辻褄があわないのです。その伝来も謎に満ちていて、沖縄、長野、はたまた北前船から伝わったという人もいれば、西南戦争から戻った人が熊本で聞いた民謡を持ち帰ったという人もいます。
もしかすると、どこかのお調子者がお酒の席で「こんなおもしろい歌があるぜ」と意気揚々で歌い出した。その場は大いに盛り上がり、みんなが思い思いに滑稽な踊りをあわせた。そんな夜が繰り返されていくうちに、いろんな土地の歌詞や踊りがくっついたのかもしれません。
キンニャモニャひとつをとっても、いろんな文化とくっついている。とすれば、それを紐解けば、自分の地元とつながることがあるかもしれません。それに、小野篁や後鳥羽上皇、ラフカディオ・ハーンといった海士町を訪れた過去の偉人たち。その痕跡を辿ってみると、海士町の人たちが無条件にといってもいいぐらい歓迎してきたことを感じます。そして、その延長線上に旅人としての自分がいるのかもしれない。そんな気にさせてくれる島なのです。
かつての旅人は、人生のどうにもならない問題に対して、神に祈りを捧げて解決してもらうために聖地巡礼をしたといいます。しかし、その結果はどうなのでしょう。その旅の途中で、孤独な夜の時間に自分の内面と向き合い、旅先で出会ったさまざまな人から癒やしを得て、帰還していったというのが実際のところではないでしょうか。
明治時代に隠岐を訪れたラフカディオ・ハーンはこんな言葉を残しています。
「私は隠岐で、強い力でその影響を遠くまで及ぼしている文明から離れているという喜びを味わい人間の生存にとってあらゆる人口の及ぶ範囲を超えて自己を知る喜びを知ったのである。」
ようは「遠島という文明から離れた場所を旅したことで、あらためて自分を見つめ直すことができた」ということが言いたいのだと思います。ぼくの場合は、船が走る音を聞きながら「行き交う船を見かけたのは何度目だろう?」と思う瞬間がありました。そして、「もしもあの船に乗っていたなら、どんな人生がはじまるのだろう」と想像がふくらんでいきました。船の数だけ違う世界線につながっている。今の人生はそのひとつに過ぎず、ほんの思いきりひとつで分岐させることができるのかもしれない。もしそうだとすると……と、そんな内面旅行を妄想したりしたのです。
船といえば、約3万年前から隠岐を行き交っていたといいます。島後で黒曜石が採れたからで、海士町はその中継地となっていた。そして、小野篁や後鳥羽上皇の時代になると配流の船も加わるようになり、北前船の時代になるとさらにたくさんの交易船が行き交うようになりました。
なぜ、海士町には外のものを受け入れるのは良いことだという風土があるのか。ジオ的に考えてみると、そもそも人間が暮らしはじめる前から、隠岐では日本全国の植物がほそぼそと身を寄せ合っていた。そんな土地の風土や気候が多様な人を受け入れてくれる環境につながっているのかもしれません。現在の島の人たちもルーツをたどれば、いろんなところからやって来た人たちに違いありません。だからこそ、今、いろんな土地の人を受け入れやすい素地があるのかもしれません。つまるところ、こうして大地と自分とのつながりの物語を想像する。それはもはや創造かもしれないのですが、いずれにせよ、このガイドをそのためのきっかけにしてもらえたら。
あるいは、Entôに泊まり、カーテンを閉めずに過ごしているだけで、夕日が沈むと眠くなり、朝日が昇ると目が覚める。そんな暮らしを思い出せる。それだけで地球とつながっていることが感じられる。自分が本当に求めているものなんて、案外、毎日の夕日を眺められるぐらいの時間の余裕と、朝日で目覚めることが苦ではなくて気持ちがよいと思える生活、それだけなのかもしれない。そんなことに気づいたりするのでした。
ON THE TRIP 編集部
文章:志賀章人
写真:本間寛
声:奈良音花
※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。