旦過市場から路地に入ってすぐのところに昔ながらの映画館がある。名前は「小倉昭和館」。レトロな外観が印象的なこの映画館は、戦前に開業した時は芝居小屋だった。現在の館主は三代目で、幼少期から「小倉昭和館」に入り浸っていたという。映写技師と仲良しで、二代目の父から子どもは入ってはいけないと言われているのに、映写室の雰囲気が好きで、そこで過ごすことが多かった。当時はもぎりさんや映画の看板書きさん、お茶子さんがいて、皆に可愛がられていた。館主に取材すると、明るい人柄と会話の楽しさに魅せられる。有名な俳優たちが自ら「ここでイベントをしたい」と申し出るのは、館主がいてこそだろう。

意外にも彼女は、三代目館主になるつもりはなかったという。二代目の父が娘に昭和館を継がせることを考えてもいなかったからだ。結婚し一度は小倉を離れたが、戻ってきたとき、「父に昭和館を閉じさせたくない」と感じたそうである。初代の祖父から継いだ昭和館を、二代目の父が閉じる。たしかに辛いことだ。

「ただ自ら館主と名乗る覚悟はなかったんです」

そう言って館主はある手紙を見せてくれた。最後の署名は「高倉健」。驚く私に、館主は経緯を話してくれた。

館主を継いだ当時、縁があって大好きな高倉健の映画のロケにエキストラ出演した彼女は、思いがけず本人に会えた。

「昭和館さん?もちろん知ってます。昨日行こうと思ってたんですよ。うちのスタッフも観に行ってます」

握手をしないと噂されていた高倉健が、そう言って手を握ってくれた。昭和館に戻って、スクリーンに映る高倉健を見つめていると館主の目から涙がこぼれた。三代目になる重責に押しつぶされそうな彼女に、高倉健は大きなプレゼントをくれた。感謝の想いを綴り手紙を出した。もちろん返事なんて期待していなかった。

だが高倉健は、館主から届いた手紙を読んで泣いていたと当時の記事は語る。

「こういう言葉が、俳優に鞭を入れてくれるんだ」

そう言って照れくさそうに笑ったそうだ。

高倉健は大俳優だ。もちろん危機に瀕している映画業界のことを知っている。古いものが廃れ新しいものが生まれるから世の中が進歩することも。夢見るだけではどうしようもない。それでも高倉健は、昭和館の新しい館主を励ましたいと手紙を送った。

手紙を受け取ったとき、昭和館を継ぐ不安でいっぱいだった彼女の心が動いた。すぐに自分を「館主」、そして結婚後の名字ではなく、三代続けて昭和館を守っている証として祖父や父と同じ「樋口」と名乗り始めた。覚悟が決まったのだ。新聞社からも取材を受けた。

すると再び、新聞を読んだ高倉健から手紙が届いた。

茶目っ気のある内容だった。館主から話を聞いている私まで顔がほころんだ。

後から館主は、高倉健は本当に昭和館に行きたくて仕方がなかったと聞いた。「だが今行くと大騒ぎになるだろう。だからこっそり行くんだ」と言っていたらしい。

昭和館は昔ながらの外観を保ちながら挑戦を始めた。イベントに特集上映、映画2本立て1200円…館主は客の顔を覚え声をかける。客足は徐々に戻ってきた。

そんな昭和館には、今は亡き高倉健との思い出が大切にしまわれている。

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