熱海を旅する前に、まずは熱海を一望してほしい。たとえば、ACAO SPA & RESORT から。すると、熱海の街が視界におさまるサイズ感であることがわかるはずだ。それから、熱海市観光協会のある道を地図上で川に沿ってさかのぼってみてほしい。スナック、旅館、ラブホテル、ラーメン屋、専門学校、見番、病院、スーパーと並び、多彩というより混濁をきわめた熱海らしい街並みが感じられる。

「熱海」の由来をさかのぼってみると、海中より温泉が凄まじく沸きあがり、魚が焼け死ぬほどの熱湯になったことから。その真偽はさておき、古くから温泉地として発展してきた熱海には、江戸の徳川家や明治の政治家などの権力者、当時のアーティストである文人墨客が訪れるリゾート地であった。その後、日本が発展するにつれて一般人も押し寄せるようになった熱海だが、1923年、関東大震災による津波で壊滅的な被害を受ける。それから27年後には熱海大火によって再び被害を受けるも驚くべき速さで復興を遂げ、現在の街並みができあがる。

そんな熱海の街の性格として「金持ちのシムシティである」と表現した人がいる。明治になって西洋では牛肉を食べるらしいと聞けば牛鍋屋を作ったり、お忍びで訪れる人が多いからとこっそりホテルに行けるお忍び坂を作ったり。そうして、お金持ちの道楽ともいうべき要望に沿って街が作られていった側面がある。同時に、ワケありの人も熱海に行けば仕事が見つかるからと集まってアンダーグラウンドな文化を作りあげていく。そうして、さまざまな人が小さなエリアで密に混じりあい、しっちゃかめっちゃかになりながら走り続けてきたのが熱海の街なのだ。

下駄の音と喧嘩の音で夜も寝られないといわれるほど賑わっていた熱海だから、旅館も商店も儲かってしかたがない。かといって、狭い街で高級車を乗りまわしていたら「アイツは羽振りがいいぞ」と噂される。それを避けるために熱海の人は家の中に置けるアートにこっそりとお金を使う人が多かった。売れない画家が季節労働に来ることも多く、熱海は昔からアートの町だったと言えるのかもしれない。

たとえば、こんなエピソードがある──熱海のとある場所に犬の石像があるのだが、いつ誰が作ったのかわからなかった。そこで、本格的に調べてみようと腕まくりをしたところ、近所のおばちゃんから衝撃の一言。「うちのワンちゃんが可愛いから作ったの」。完全にプライベートに作ったものが、パブリックアート化していたのだ。

そして、現在。「熱海といえば花火大会」と人々は口をそろえる。フィナーレの「大空中ナイアガラ」は会場全体で打ち上げるスターマイン。それが、すり鉢のような熱海の地形とあわさって、スタジアムのような反響が生まれる。音の振動に打ち震えるのは全身だけではない。街中の高級車が揺れて防犯のイモビライザーが鳴り響くほど。

熱海を俯瞰できる場所というのは花火の特等席でもあるはずだ。もしかすると、今日も花火大会があるかもしれない。夜を待つあいだ、花火というクライマックスを迎える前に熱海の街を歩いてみよう。

ON THE TRIP 編集部
文章:志賀章人
写真:本間寛
 声:五十嵐優樹

※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

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