1950年のある日、とある工事現場の作業員たちは器に廃油をためて、マッチの火を投げ入れていた。それで火がつくか賭け事をしていたのだ。すると、本当に火がついた。「やった!」と思ったのも束の間、火は大きく燃えあがる。「これはマズイ!」と器を動かそうすると器ごと倒してしまい、一気に火が燃え広がる。「とにかく消さないと!」焦って水をぶっかけるとドカンと水蒸気爆発……すべてが裏目。その工事現場は現在のジョナサンのあたりにあったのだが、火の手は凄まじい速度で熱海の坂を駆けあがっていった。

銀座通りにいた人たちは津波のように襲い来る火の手を前に山のほうへと逃げ出した。中には、タンスを抱えて走る小学生の姿もあったというから、火事場の馬鹿力は実在する。伝説になっているのは起雲閣。当時の従業員は全員でバケツリレーをして水をかけ、火がうつる前に建物を湿らせた。その結果、あたり一帯は焼け野原となったのに、起雲閣だけが燃えずに残ったという。

熱海大火と呼ばれるこの事件。幸いにも死者はいなかったが、熱海市の1/4が壊滅し、観光客の姿が消えた。しかし、そこからの復興が早かった。建物さえあれば、客は来る。すぐに建てたい、でも費用はかけられない、それでいて安全な建物をつくりたい。その3つの条件を満たす不思議な建物群ができあがった。銀座通りにある建物をよく見てほしい。お隣の商店と壁と壁がつながっていることに気づくはずだ。

そうして、わずか一年後に復興を果たした熱海。しかし、あまりに早すぎて信じてもらえなかったのか、観光客が戻ってこない。そこで、熱海の復興を全国に知らしめるために大きな花火を打ち上げることにした。それが、熱海の花火大会の第1回目。熱海の花火大会には復興の狼煙という起源があるのだ。

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