江戸時代まで熱海温泉の中心は大湯間欠泉であった。というのも、徳川家康は関ヶ原の戦いの前に熱海の温泉に入ったといわれ、江戸幕府を開いてからも、大湯のお湯を江戸まで運ばせていた。はじめは飛脚が徒歩で運んでいて、それも将軍様への献上品なので地面に置くことも許されず、交代しながら運んでいたという。それから時代が進んで船でたくさんのお湯を運べるようになると、江戸ではおすそわけのような形で下町の銭湯にもお湯が配られ、「本日、熱海の湯」と書かれたのぼりが立った。それもあって江戸の人たちは熱海を知り、憧れるようになったという。

噴き上げを受けているゴツゴツとした岩は富士山の溶岩石。古来より大湯間欠泉の噴き上げは凄まじかったといわれるが、明治になって熱海のあちこちで温泉が掘られるようになると大湯の噴き上げは徐々に弱まっていき、現在はポンプで噴水している。

ちなみに、熱海では水道と同じように温泉を自宅にひくことができる。水道光熱温泉費。風呂の大きさにもよるが月額15000円ぐらいとのこと。

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