コムアイ:これから貴船神社の宮司である高井さんにお話を伺っていきます。高井さん、よろしくお願いします。
高井:よろしくおねがします。貴船神社の高井です。
コムアイ:実は私、貴船神社でしか聴くことのできない音楽「SOUND TRIP」をつくらせていただいているんです。オオルタイチさんと一緒に「宙返り」という曲をつくらせていただいて。貴船神社でしか聴くことができないので、ぜひ聴いていただきたいなと思っています。私は水をイメージして、当たったり跳ねたり、濁流になったり、ゆっくり流れている様をイメージして、声をだしたりしました。
高井:即興やったんですね。
コムアイ:そうですね。今日は、貴船神社について改めて詳しく聞いていきたいなと思います。
京都って本当に鴨川を囲むようにして街が広がっていて、鴨川を源流までさかのぼっていくと、源流の貴船までたどり着くと思うのですが。貴船は「貴い船」と書きますが、語源もいろんな説があるんですよね。その辺りをお聞かせいただけますか?
高井:貴船神社の創建についてはまだ不詳なんですが、伝説によりますと1600年前に大阪湾(浪花の津)から、初代神武天皇のお母さまである玉依姫命様が御出現されて、この水源の地は一体どこかと探されて、淀川、鴨川を上り、そして貴船川までたどりついて。そこから舵をきって貴船に向かい、「ここに祠を立てよ」と言われたのが謂れとされています。現在で言いますと「奥宮」がその地になります。
コムアイ:高井さん、「きふね」と「きぶね」と両方、言われていますか?
高井:確かにそうですね。それを説明していなかったですね。神社は「きふね」、地名、駅や山などは「きぶね」と言うんですね。なんでかと言いますと、神社は水の神さまをお祀りしているので、水がにごらない様に「きふね」、地名は「きぶね」といいます。
コムアイ:地名も「きふね」じゃダメなんですかね?
高井:地図表記は、神社以外は「ぶ」になっているんです。
コムアイ:面白いですね。語源をたどっていくと、漢字は変わっていくから…
高井:神社も今は「貴い船」ですけど、昔は「黄色い船」。これは冒頭に話した玉依姫命様が、大阪湾を登って来られたという話で乗られた船が黄色であったということから、「黄船」になったとされているんです。黄色というのは貴い色。今でも天皇陛下がお召しになられる装束は、黄色という貴い色である。そこから、今の「貴船」神社になったと伝えられています。
都が京都にくる以前から水の神様としてお祭りされていたんですが、都が京都が移ってからは、水源の地として朝廷に重要視されていました。御所から見てちょうど北東の位置、表鬼門にあたりますので、鬼門を守るという意味でも非常に重要視されていたんですね。
嵯峨天皇の御代には、「晴乞い」「雨乞い」などのお祭りを行うようになったんです。晴れてほしい時には「白い馬」を、雨が降ってほしいときには「黒い馬」をお供えしました。それが嵯峨天皇の御代だけでも数百度に及ぶ、と記録されています。
コムアイ:叡電もなかった時代…自分の足や馬でいくのは大変ですよね。
高井:その時代の有名な話で和泉式部が夫との復縁のお参りに訪れた際に、ホタルの歌を詠まれたという記録も残っています。平安時代の女性が、夜にお参りにきていたということも非常に興味深いところだと思うんですが、お供を連れてきたのか、一人で来たのか、どれぐらいの時間をかけて貴船の地にたどり着いたのか。 ※和泉式部の歌:「物思へば沢の蛍もわが身より憧れ出づる魂かとぞみる」
コムアイ:日帰りという訳にはいかないですよね。
高井:おそらく宿泊施設というような、宿坊がその時代にすでにあったのか。そういった背景が読み取れる歌ですよね。
コムアイ:馬の話ですが、貴船神社は絵馬の起源でもあるんですよね?
高井:生馬を数百度も連れてくるのは大変ですから、時代とともに板に馬を描く「板立馬」というのがでてきまして、江戸時代入ってからその風習が一般庶民にも広まって、個人の願いを書く今の絵馬へと変わっていった。貴船神社は、絵馬とつながりの深い神社と言われています。
コムアイ:最初は馬の形を彫った、馬形だったと聞いたことがあります。だんだん簡略化して、今の馬の絵がプリントされた絵馬へと変わっていった。昔は馬の絵も一個づつ手書きだったんでしょうし。面白いですね。
貴船神社は色んなレイヤーで、エピソードが重なっていっているんだと思いますね。平安時代の和泉式部や、起源となると「古事記」の時代の玉依姫命のエピソードもありますし。貴船神社って、「気が生まれる根」とも書いていたという話を聞いたんですが、気が湧き出る場所として扱っていたんですか?
高井:今の時代もそうかもしれませんが、水の音を聞くだけで心が清々しくなるというか。昔の方はそこに気力がよみがえる、枯れたものがよみがえる。そういうものがあったんでしょうね。
コムアイ:気が枯れるということを、「ケガレ」と言いますもんね。
高井:水の音によって(気が)よみがえるというのは、貴船の地がまさにその地だということから「気生根」と呼ばれていたのだと思います。
コムアイ:高井さんは最近、宮司になられたんですよね。先代の宮司であったお父様も飄々とされていて。貴船神社の方はみんな、飄々とされているので、気の良い場所なんだな、コンコンと湧き出る良い気に触れていらっしゃるんだなと思ったり。自分も奥宮に行くのが好きで。
お宮は3か所ですか?もっとあるんですか?
高井:大きくは、3か所ですね。「本宮」「中宮(結社)」「奥宮」ですね。
コムアイ:みなさんも歩いて、奥宮まで登って行くと思うんですが。特に私は夜の奥宮の雰囲気が好きで、日が暮れてから足を踏み入れると、何ていうんだろう…何もない「空(くう)」みたいな。丸い真っ黒な惑星というか、ぽっかりと穴が空いたものに包まれるような、入っていくような感じがして。すごく好きなんですよね。ただそれが、悪い感じの闇ではなくて、ただ清々しいぐらい何もないような気持ち良さがあって。今日も訪れて、やはりあの辺りに近づくとへらへらしてくるんですよね。私は他の神社でも、好きな場所に近づくとへらへらしてくるんですけど(笑)。何なんでしょう。
皆さんも感じ方は人によって違うと思うので、偏見を持たずにどんな風に感じるかなというのを楽しんでいただけたらと思います。
高井:そうですね。本当に人それぞれ感じ方は違いますから。
コムアイ:貴船神社でお祀りされているのは、どういう神様なんでしょう?
高井:高龗神(たかおかみのかみ)と言いまして、水の供給を司る神様と言われています。火を沈めるのは水ということで、神話にも出てくるんですが、実は高龗神は、火の神様から生まれた神様なんですね。
火も大事ですが、水もやはり大事なんです。
コムアイ:昔は木造建築で火も怖かったでしょうから、日本人は。水があって火が治まるという感覚は、今より強かったでしょうね。
高井:「水の供給を司る」ので、水を止めたり出したりという采を持った神様といわれていますね。妻である伊弉冉命(いざなみのみこと)が産み落とした火の神によって殺されて、夫の伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が怒って火の神を切った。その血から生まれたのが、「高龗神」と言われています。
※「」部分は、古事記では闇龗神、日本書紀では高龗神とされています。
※詳しくは:https://kifunejinja.jp/shrine/
コムアイ:めちゃくちゃファンタジックですよね。火を切って水が生まれるとか、死んだはずの伊奘諾尊が火の神を切れることとかもすごいですけど。火から滴った血が水になるってどういうこと!?って思いましたね。その高龗神と対になるように、闇龗神(くらおかみのかみ)もいらっしゃいますが。
高井:高龗神は本宮で、奥宮で闇龗神をお祀りしています。古事記では、同一神であるといわれています。お社に行っていただくとわかると思うんですが、本宮は高台にあるので、高いところに在る神様。かたや奥宮は、山奥の深いところにあるので闇龗神といわれるんですね。泉というのは高いところからも、山奥からも湧いてきますので、水源の地をそれぞれ表現した神様なんでしょうね。
コムアイ:なるほど、そういうことなんですね。私の中で解釈していたのは、天を飛んでいる龍がいて、それは雨を降らしている感じがして、それが高龗神。闇龗神は、地底に住んでいる龍、水脈のイメージで、元は雨水ですけどそれが染み込んで湧き出て、コンコンと地底から湧き出ている。私たちは天と地、両方から水の恩恵を受けている。高龗神と闇龗神、その2つの神が同一神ということに納得をしていました。
高井:それも一理あると思います。奥宮の本殿の真下には、「龍穴(りゅうけつ)」がありますから。まさにコムアイさんがおっしゃった話は一理あると思いますね。
コムアイ:あれは本当なんですか?宮司さんでも、龍穴は見れないと。
高井:(社を)建て替えた当時に龍穴を見た宮司によると、その穴は確かに存在すると。本殿の真下にあるので、見ることはできないんですけど、大きな井戸があります、今も存在しております。
コムアイ:龍が住んでいる穴?
高井:と、言われております。御祭神の高龗神の「龗」の字が、雨冠に「口」が3つ並べて「龍」と書くんですが、この漢字一文字で神様のはたらきを表しているんです。「口」3つというのはお供えもの。龍神様にお供えものをして、雨を祈っている姿を漢字一文字で表している。
コムアイ:口というのは、酒杯(さかつき)みたいなことですか?
高井:それもありますし、三方(さんぼう)といいまして、神社でお供えものをのせる台を表している字でもあります。
コムアイ:一番上には雨冠、雨を降らせてくれと祈っている。雨乞いだったり、雨が降りすぎて困るときの雨止みだったり、そういう儀式は残っていたりするんですか?
高井:今もありますね。3月9日には雨乞い神事(雨乞祭)を行っています。適度に雨を降らせてくれますようにと。環境の変化によって、水は恐ろしいものにもなりますし。津波の様になる場合もありますし、津波のようになる場合も、洪水のようになる場合も。
コムアイ:そうですね。人間の手に負えない場合も。
高井:そこに恐れて敬う心、感謝の気持ち。そこから水の神様に手を合わすというのが、昔の日本人の土着の信仰といいますか。
コムアイ:水分神(みくまりのかみ)の神社というのが、全国にたくさんあって。私は水脈が日本中に広がっていて、それ自体が「龍」と言えるような、生き物のように常に水が動いていて私たちに恵みを与えてくれているという、それに守られているような。あっちに行っても、こっちに行っても龍神さんがいるような感覚があって。貴船はそういう土台の上に大きな神社ができていて。物語も伝説もたくさん重なっているのが、面白いところだなと思っていて。
例えば平安時代に都が移っていなかったら、龍神様を祀るだけのシンプルな場所だったのかもしれないですよね。それこそ、「鉄輪(かなわ)」の丑の刻詣での話は、都会ならではの悩みの末にあったようにも思いますし。
※鉄輪(かなわ)…貴船神社「奥宮」が舞台となった能の演目。夫の不実を恨んで丑の刻に参り、鬼となった女の話。
高井:丑の刻参りというのも、室町時代に一般庶民に広まった風習ですけれど。
コムアイ:丑の刻参りって、怖いイメージがありますけど。
高井:そうですよね。先ほど「気が生ずる根源」という話をしましたが、「気力が生まれ変わる」「運気が上がる」ということは「何でも願いを叶えてくれる」。貴船の御神様が、丑の年の、丑の月の、丑の日の、丑の刻にご登臨(とうりん)されたという伝説が残っているんです。この近い時間にお参りするとよりいっそう願いを叶えてくれる、それが丑の刻参りの起源なんです。
それが先ほど話にあった、和泉式部の蛍の歌。丑の刻に近い時間にお参りしていたということは、そういう意味があるんじゃないかなと思います。それが室町時代に入って、陰のイメージが強くなってしまいましたが、おそらく「呪い」というようなものもきっと叶えてくれるんじゃないか、ということで金輪の話が生まれたようなんですが。金輪の話も、結局願いは叶わずに終わるんですが、ストーリー自体があまりにもインパクトが強いので。「ああいう格好(赤い衣を着て、顔には丹(赤色)を塗り、頭には鉄輪をはめた)をすると呪いが叶う」と思ってしまいがちですが、実は願いは叶わずに終わってしまう。
コムアイ:鉄の輪と書いて「かなわ」と読む。私は最初読めなかったんですけども。能に興味があるので、貴船神社とご縁ができたときに、能の舞台だったことがすごくうれしくて。能に縁がある場所は、聖地めぐりに行きたくなるんですよね。能の物語のイメージがついていたので、奥宮を訪れた時も、「ここに毎晩通ってたんだ」と見えないのだけれど、物語の登場人物を歩かせてしまう、脳内で劇場化しちゃうところが、楽しいなと思うんですけど。
鉄輪って怖い話ですよね。ある女性が、結婚していた男性を他の女性に取られてしまって、捨てられてしまったから、その男性を呪おうとする。それで丑の刻参りに奥宮に通ったっていう。
タイトルの「鉄輪」とは、五徳のことなんですよね。五徳を頭に乗せて、そこにろうそくに灯した火を立てて、顔に丹を塗って、赤い顔になるわけですけれど。そうやって想いを強くすれば、鬼になれるでしょと。その女性は鬼になると、神託(神のお告げ)を受ける…という恐ろしい話。私はその鉄輪のストーリーや、ビジュアル的もすごく好きなんですけれど。
今お話を聞いていて、貴船神社は高龗神と闇龗神がいて、陰と陽がある。奥宮でそういう話があるというのは、陰の力を持っているのかなと。私は呪いとか軽い陰ではなくて、もっと深い陰の力を持っている気がして、私はそこをすごく信頼しているというか、気持ちいいなと思ってるところなんですけど。人を落ち着かせる力だったりとか、まっさらにさせてくれる力だったり。高揚させるのとは、逆の力。
高井:おそらく貴船神社とはそれだけ霊験あらたかというか、ものすごい力を持っていると思われていたんでしょうね。その時代からそういう話が生まれるというのは。都からかなりの距離がありながら、その話が一般庶民にまで広まるということ自体、「貴船神社は霊験あらたかだ」という認識があったからでしょうね。
コムアイ:平安時代の貴船神社の地位を裏付ける話になるかと思うんですが、遺跡が見つかったというお話が…。
高井:そうです。2020年の話になりますが、表参道の看板を設ける工事が入ったんですが、業者さんが手掘りで掘ったら(地表から)わずか数十センチのところから白色の土器が出土されまして。調べるとかなり高貴な物で、宮中内裏で使われる土器であると解りました。
コムアイ:宮中内裏というのは?
高井:天皇が自ら使われる、御所で使われる土器。それ以外では使われないような物が、貴船で出てきたというのが。わずか数十センチの地層を調べると、平安時代の地層であったということから、まさにあそこの風景は平安時代から一切変わっていないというのが、読み取れるということで。文献でしか解っていなかったことが、考古学的なところからも平安時代から(貴船神社が)あったということが立証されたので、非常に大きな発見でしたね。みなさんが歩く参道は、平安時代の人も同じ様に歩いていたということをイメージするだけでも、ものすごくロマンのある話ですよね。
コムアイ:川沿いを上がってくると、両脇にご飯屋さんがあったり、旅館があったり、お土産屋さんがあったり。それを見ながら上がってくると、川のせせらぎを聞いて過ごす時間があって気持ちいいなって思います。ただ散歩するだけでも気持ちいいような。
コムアイ:叡電のことも聞いていきましょうか。叡電には、乗られますか?
高井:乗ります(笑)。働いてからは乗る機会は少ないですが、学生時代は毎日のように乗っていましたので。高校出てから大学は、電車に乗って通っていましたので。自宅が叡山電鉄の沿線上にありましたので、そこから。今と違って昔の叡電はもっとレトロだったんですよ。
コムアイ:今日乗った電車もだいぶレトロでしたよ!
高井:全部木でできてたんですよ。床も。
コムアイ:わぁ、ステキ!
高井:あれを残せばよかったんじゃないかと思うんですけど。
コムアイ:一台ぐらい復刻して欲しいですね!
高井:吊り輪も木でしたし。ものすごく感動しましたね。社会人になってからなくなりましたけど、あの車両は。あの沿線には大学がたくさんありますから、僕ら世代の大学生はあの車両を懐かしがっているんじゃないですかね。芸大も2校ありますし、そこに通っていた学生は懐かしいんじゃないですかね。
コムアイ:お店についても聞いていきたいんですが、貴船川沿いにたくさんお店や旅館がありますが、いくつかご紹介いただけますか。
高井:いろいろお料理屋さんなどがたくさんありますが、最近は若い方もたくさんいらっしゃるので、そういった方に向けたお店もちらほら出てき始めて。もうすこし「川床」を若い世代にも広く味わってほしいということから、川床カフェを始めたお店もあります。川床は本来、(懐石)料理を味わってもらうためのものなんですけど、お茶だけでも楽しめるように、お飲み物代と川床料金で川床を楽しむことができるお店もでてきました。
コムアイ:川床は、もともと懐石だけだったんですね。
高井:懐石とか流しそうめんとか。お茶だけの店はなかったんですが、近年若い方のお参りも多いので、そういったことに取り組まれているお店もでてきています。年々、街も変わりつつあるので、その変化も楽しんでいただければ。
コムアイ:貴船は四季折々の楽しみ方ができる場所ですし。
高井:夏の川床は、川をすぐ側で楽しめますし。足を伸ばせば、すぐに川に浸かる距離感で楽しめますし。かたや冬になりますし、川のせせらぎを聴きながら、雪景色が楽しめる。雪景色を見ながら、ボタン鍋を味わう。粋なものですから。秋は紅葉、春は新緑と、四季折々、楽しめる。
僕は新緑の季節が一番好きなんです。緑は緑でも瑞々しい、きれいな緑ですので。ぜひ、貴船の新緑を見ていただけたらなと思います。
コムアイ:叡電に乗ってここまで来てみて、アクセスがいいなと思いました。
高井:けれど雪が積もるというのも珍しいと思うので。冬の貴船の雪景色も味わえるので、そういったところも楽しんでいただけたらなと思います。
コムアイ:水を司っている神社ということもあって、水の流れや水の質は気にかけていらっしゃると思うんですが、叡電から眺めていると、いろんな森の景色があって。紅葉のきれいな場所もあれば、木が多く倒れている場所もあって。水と森の関係というのは、高井さんも考えられているところはあるのでしょうか?
高井:これは古からの知恵だとは思うんですが、木が豊富なところに水が豊富にある。日本がこれだけ水が豊かにあるのは、森林が豊富にあるから、水が守られている。木の根というのは水を蓄える力があるので重要ですよね。
貴船は、3年前(2017年)に台風による大きな被害ができて、木がだいぶ倒木されましたけど、あれを復興させるには何十年という長い年月がかかります。こつこつ植樹をしていかないといけないという、非常に広大なことですけれど。
コムアイ:叡電も一時期通れなかったんですよね?
高井:そうですね。きれいで美味しい水を与えてくれながら時と場合によっては恐ろしい存在にもなる、水というのは。畏敬の念を持っておかないといけませんよね。当たり前のように飲めていると思わずに、「蛇口の向こうに手を合わす」ではないですが、そういった心が個人個人に必要なんじゃないかなと思いますね。
今、SNSが盛んなので画面上で見てしまうんですが、冒頭からお話しているのが、実際に来て、見ないとわからないものなので、ぜひ体感して。硬く考えずに、自分が感じたものを素直に感じてほしいなと思いますね。
コムアイ:自分のからだや感覚。鳥肌がたったりだとか、音がどういうふうに聴こえてくるか。私が思ったのは、川沿いに歩いていくと、川のせせらぎの聴こえ方だったり、空気感が途中で変わっていくような感じがするんですね。そういうのは実際に歩いてみないと感じられないものだと思うんで、皆さんにもまっさらな気持ちで、感覚を研ぎ澄ませて、感じようと思いながら歩いていただきたいなと思いますね。
コムアイ:高井さん、いろいろと面白いお話をありがとうございました!
高井:ありがとうございました。
コムアイ:そろそろ電車は、貴船口駅に到着します。バスに乗り換えて、貴船神社へと向かいましょう。
ここは京都を流れる鴨川の源流である貴船川の水源地に位置する場所。少し立ち止まって耳をすませば、水が流れる音が聞こえてきます。川のせせらぎに癒されながら、30分ほどかけて、歩いて向かうのもよいかもしれません。
川沿いには少し懐かしい印象の飲食店や、こだわりの品を扱うショップなどもあるので、気になるお店があればぜひ立ち寄ってみてください。次は、貴船神社でお会いしましょう。
(※2021年12月収録)