杉岡華邨の書は「立体的」なのだという。どういうことか。どの作品でもかまわない。まずは文字の濃淡に注目してみてほしい。水墨画は濃く描くことで手前の近景を。薄く描くことで遠くの遠景をあらわしたりする。書においても文字の濃淡で遠近感や物事の強弱をあらわしている場合がある。たとえば、意志の強さや弱さを。声の大きさや小ささを。あるいは酔っぱらって意識が薄くなっていくところをかすれゆく文字であらわしているのかもしれない。そんなふうに立体的な「絵=場面」を想い浮かべながら書と向き合ってみてはどうだろう。
そして、もうひとつ。書の余白に注目してほしい。忘れてしまいがちだが、書は黒と白の芸術。書かれた文字を追いかけるだけでは、まだ半分だ。その余白が何をあらわしているのか。そう考えてみることが書と向き合うヒントになるかもしれない。たとえば、「月」という字がぽっかりと浮かんでいたりする。そこから月夜の晩のワンシーンが目に浮かんでくるかもしれない。はたまた力強い文字の連なりが険しい山々の風景に、流れる文字のゆらぎが一本の大河に見えてくるかもしれない。
書は中国からきた文化であるが、日本はそれを独自にアップデートして「かな書」という文化を作り上げた。書が立体的なのも、余白を活かした構成も日本ならでは。杉岡華邨はそれをさらに磨き上げたのだが、その深みについて詳しくは美術館の方に聞いてみてほしい。