※「07 母と娘」と、内容は同じものとなります。

萩原カンナ(チアンセン・テアッケナー)さん
1970年、プノンペン生まれ/神奈川県在住

テアッケナーは5歳で父を亡くした。クメール・ルージュ時代となるわずか数日前のことである。

クメール・ルージュ時代、まだ幼いテアッケナーは子ども部隊に入れられて、彼女の母は別の部隊にいた。そのため、テアッケナーは子どもの時から母と別れて暮らしていた。クメール・ルージュは、テアッケナーにスズメが稲を食べないように田んぼで見張りをさせていた。

テアッケナーが一番覚えていることは、4月のカンボジアの正月だった。クメール・ルージュは、カンボジアの正月だけは離れて暮らす両親、きょうだいが村で集うことを許可していた。そしてテアッケナーの母も、娘のところへグアバの実をふたつ持ってきてくれた。その後、母は再び娘と別れて帰っていった。それが母の顔を見た最後だった。

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