萩原カンナ(チアンセン・テアッケナー)さん
1970年、プノンペン生まれ/神奈川県在住
大和定住促進センターに3か月滞在した後、叔母たちが縫製の仕事をすることになった鳥取県で、テアッケナーの家族も暮らすことにした。
鳥取県では、入学に際してさまざまな困難があった。そのため、テアッケナーの入学は9歳と遅かった。学校と人々は、テアッケナーと従兄が難民であることを理由に入学を許可しなかった。この事件は当時、新聞とテレビで報道された。この問題を議論するために、地方の役所をたびたび訪れなければならなかったことをテアッケナーは憶えている。その後ようやく、テアッケナーと従兄は他の児童と同じように入学できたのだった。
テアッケナーは言う。「難民として、私たちは戦争と多くの困難を経験した。新天地で私たちに必要なのは息災なことだけ。どんないざこざや問題も起こしたくはない。難民だって、様々な形で日本の経済発展に貢献することができる。だから私たちを嫌ったり、差別しないでほしい」。