高山和子(ヒム・ピアップ)さん
1959年、バッタンバン生まれ/神奈川県在住
クメール・ルージュ時代になる前に共に学び、村で近所だった友達と1977年に再会した。その友達はピアップに結婚を申し込むために組織 (オンカー:クメール・ルージュの党組織であるカンプチア共産党は、民衆に対する革命組織)に申請した。これはクメール・ルージュ時代では拒否できないことだった。なぜなら、その未来の夫は土地の測量の仕事でクメール・ルージュに従事していたからだ。
ある晩、オンカーの監視の下、15組のカップルが一斉に結婚した。ただ夫婦が顔を見せ合うだけで、伝統的な儀礼は何ひとつなかった。
1983年、ピアップ一家は来日した。他のカンボジア人難民と同様に、最初の3か月を大和定住促進センターで滞在した。彼らは夜間にセンターに到着したが、そこでは記録を残し、報告を行うために、新しく来所した難民の写真の撮影を行う必要があった。