この音声を開くまでにどれくらいの時間が流れたでしょうか。ふつうに歩けば40分の道のりのはずが、気がつけば2時間が経っていた。そんなことも珍しくありません。

旅は、目的があるとゴールができてしまいます。目の前に山頂を目指す階段があると進まなくてはいけない気持ちになるし、立ち止まって振り返ることも忘れてしまいがちです。この旅でお伝えしたかったのはその真逆の歩き方。たとえば、前に進むことを忘れて立ち止まってしゃがんでみると、小さなコケから胞子がにょきにょきっと伸びているのが見つかります。コケは地面を這うように生きていますが、胞子を風に乗せて飛ばすために、このときばかりは3センチぐらいの柄を伸ばすのです。その生命力がかわいい。そういうことに気づいてほしいかったのです。

あなたは、この森でどんな不思議を発見したでしょうか。見て、感じてきたことを思い出してみてください。「こんなことに気づけるようになった!」という喜びもそのひとつ。小さなコケに「かわいいな」と思えること自体が素晴らしい。美しいと思えるあなたが美しい。そんなセンス・オブ・ワンダーを取り戻せたら、都会に戻ったとき普段は聞こえなかった鳥の声が聞こえるようになっているかもしれません。

森を歩くことは自分との対話にもなるはずです。最初にした問題提起を覚えているでしょうか。植物の光合成からはじまり、自然界で循環しているお互いの種の保存のためのシステム。この森を歩くことで、その一部を目にしたはずです。では、その循環に人間は貢献できているのでしょうか。貢献しているとすれば、どのような形で貢献しているのでしょうか。

たとえば、人間が動物として森を歩くことで、植物の種が飛び、新しく生まれる命があるかもしれません。髪の毛を落としていたらそのタンパク質を栄養に新たな植物が育つかもしれません。あるいは、人間が森で息をして二酸化炭素を出すことで植物はそれを取り入れて成長しているかもしれません。

しかし、進化の歴史をさかのぼれば、植物は動物より先に陸に上がり、一時代を築いていました。ということは、植物は植物だけで完結できる世界があるのかもしれません。そのあとに生まれた私たちは森を利用させてもらっているだけ。森からいただくことの方が圧倒的に多いのかもしれません。

とすると、植物の光合成からはじまる自然のサイクルで人間が貢献していることはないのでしょうか。その答えは、一度、森を歩いただけではつかめないかもしれません。しかし、ひとつのきっかけにはなるはずです。きっと、考える種はあなたの中に自然にはいりこんでいる。知らぬうちに暮らしの中に持ち帰っていて、日常生活の中でふいに芽を出すかもしれない。それも新たな意識の芽生えかもしれません。

そのためにも、この森で試した2つの視点を持ち帰り、自分の家の近くの自然を散策してみてほしいと思うのです。すると、これまでに見えなかったことが見えてくるはずです。そうして、この旅を続けてほしいと思います。

最後に八丈島のお別れの言葉をお伝えしたいと思います。「おもうわよい」それは「離れていもあなたのことを思っていますよ」という意味です。頻繁に使われる言葉というよりは、真の交流があってこそ使われる大切な言葉。人を、自然を、この森を想って、あなたも口にしてみてください。おもうわよい。

ON THE TRIP 編集部

文章:志賀章人
 声:奈良音花

※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。

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