みなさん、こんにちは。絵師の村林由貴です。2011年の春に始まった「退蔵院方丈襖絵プロジェクト」。そこから約11年の歳月を経て、2022年5月、ついに、76面の襖絵「五輪之画」が完成いたしました。ここからは私のガイドとともに、襖絵を見ていきましょう。
まず初めに、わたしに与えられた「五輪」というテーマについてお話しします。「五輪」とは、仏教の世界で、宇宙の万物を創生する5つの要素、「地・水・火・風・空」を意味します。「方丈の5つの部屋を一巡すれば、全宇宙を感じるような襖絵を」とお題をいただきました。
五輪という壮大なテーマに対して、「私は一体何を表現すればいいんだろう」。そう考えた時、私は絵師としてお寺に来てから、修行の経験や、お寺での生活、絵を描く中で、気づいていったことを表現したいと思いました。ですから、「地・水・火・風・空」という、ひとつひとつの門を叩いて、段階を上っていくかのように構想を考えていきました。
最初にご覧いただくのは、<火の間> 白梅図 です。
ある年の冬。私は坐禅修行に臨んでいました。凍てつく寒さと足の痛み、凛と静まりかえった空気の中。ふとお庭の前を通った時に、白梅の花が一輪だけ咲いていることに気づいたんです。
「行ずる者は花開く」。そう伝えてくれているような気がしました。
何を描こうか迷い、探している自分が、修行中に見た一輪の花に救われて、力が湧いてくる。心に火を灯し、行いを積み重ねていくことで、次第に花は開くのではないか。そんな思いを胸に、描いたのが火の間でした。
「空(くう)」というと皆さんは、何をイメージするでしょうか。私には、目には見えないもの、という印象があって、初めは何も描かない方がいいかと迷いました。けれど、自分なりの「空」を掘り下げていったときに、時の流れ・無常感というものに辿り着きました。
愛情のもとに生まれた私たちですが、この人生を全うするのは自分自身、ただひとりです。真っ白な世界にたたずむ一羽の鷺は、孤独をも、背負って生きる姿を。二羽のセキレイは、出会いを写し出しています。人生の歩みの中で、誰かと出会い、時に孤独とも向き合う。そんな、人々が生きる、時の流れを表現しています。
中央の襖絵に目線を戻すと、なまずが描かれているのが見えるでしょうか?
法要が行われる際には、正面に位置する仏間を開き、なまずの絵は隠れてしまいます。それは、私たちと、歴史やご先祖さまとの関係性に、似ているような気がします。姿は見えなくとも、意識すれば側にいると感じ、わたしたちを見守り続けている。
仏間の正面となる、この空間だからこそ、こういった表現にいきついたのだと思います。
<風の間>に描いたのは、雄大な勇ましい松の姿です。<火の間>が、修行の場という位置付けだとすると、風の間はその行いが段々と、心や体とぴったりと重なって、自然体になる姿を描きました。例えば、拙かった筆づかいが滑らかになったり、痛かった坐禅がいつしか、からだに馴染んでいったり。
自と他が次第に一体となってエネルギーが溢れ出す、そんな状態を描きたいと思ったのです。
後ろを振り返っていただくと、お庭には一本の松があり、西側には狩野元信が造った庭園「元信の庭」が広がっています。お庭の景色と襖絵の景色、双方を併せて、楽しんでいただけたら嬉しいです。
自分の内側を見つめていった時、骨や肉はわたしを形づくっているけれど、「わたし」という存在は「縁」というものが連なって出来ている。そう気がつき、描いたのが<水の間>です。
向かい合う二羽の鷹。みなさんはどのような印象を受けるでしょうか。
退蔵院には、宮本武蔵が滞在したという記録があります。その縁から考えると、二羽の鷹は武蔵と小次郎が向き合う姿。僧侶の方であれば、師匠と弟子を思い起こす方もいるでしょう。もしくは、若いときの自分と老いていく自分、など、二羽の鷹に重ねられる姿はさまざまです。
ぜひ、みなさんの中に思い浮かぶ縁を感じながら、ご覧ください。
最後に見ていただく<地の間>は、始まりの場所というイメージから描きました。
初めて坐禅修行に行ったときのこと。夕暮れに染まる禅堂の中、修行僧たちがじっと坐る姿を目にしました。その姿が、ふと、水面に浮かぶ蓮の景色に重なったんです。心のともしび。大地が抱く生命の息吹。
地の間では、そんなはじまりの景色を描いています。
五輪「地・水・火・風・空」。この場所で、誰かが祈りを捧げる時、その心に少しでも寄り添うような襖絵であったなら。とても幸せに思います。本日はご覧いただき、誠にありがとうございます。