かつて若狭の中心は小浜と熊川のあいだに位置する「おにゅう」と呼ばれるエリアにありました。そして、塩や魚を送るかわりに、京都から最新の文化を持ち帰りました。だからこそ、国宝の明通寺をはじめ、国分寺や神宮寺など、たくさんの寺院がこの地に残っているのです。
たとえば、神宮寺は都とゆかりのあるお寺です。というのも、奈良の東大寺には「お水取り」という儀式があります。国家の病気といえる厄災から国を守り、五穀豊穣を願う行事ですが、そのはじめに東大寺の奥にある「若狭井」という井戸からお水を取ります。なぜ、若狭井という名前なのか。それは、そのお水を若狭から送っているから。そのための儀式が「お水送り」。神宮寺で清めた聖なる水を鵜の瀬に流すと、そこには東大寺につながる秘密の水路があり、その水が「若狭井」から湧き出しているというのです。
なぜ、若狭である必要があったのでしょうか。「おにゅう」はかつて「小丹生」と書き、丹=水銀に関わる地名といわれています。水銀は当時、不老不死の薬と考えられていました。だからこそ、不老不死を求めて若狭の水を求めたのではないか。そう想像をふくらませることもできるのです。
ちなみに、鵜の瀬の近くに「八百尼」と刻まれた石碑が立っていて、これが八百比丘尼の墓だとされています。そして、私の誕生はお水送りのはじまりと不思議と時を同じくしているわけですが、それはなぜなのか。ここから先はあなた自身が想像してください。フフフ。
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声:八百比丘尼
ON THE TRIP 編集部
志賀章人・本間寛・奈良音花
※このガイドは、取材や資料に基づいて作っていますが、ぼくたち ON THE TRIP の解釈も含まれています。専門家により諸説が異なる場合がありますが、真実は自らの旅で発見してください。