熊川は国境の町。番所には簾のようなものが掛かっていて、2人の役人が監視していました。そして、通行人を中から伺い、声をかけていたのです。
役人:これ、主らはどこにいく?
旅人:はい、西国でございます。
役人:西国のどこだ?
旅人:津の国でございます。
役人:どこの出身だ?
旅人:大坂でございます。
役人:いつ出発した?
旅人:6月20日です。
役人:何人だ?
旅人:連れは4人でございます。
役人:その女は?
旅人:女房です。
役人:手形は持っているか?
旅人:はい、持っております。
役人:出しなさい。
そうして、役人は通行証のチェックをはじめます。そして、間違いがないことを確認すると通行が許可されました。とくに女性がよそに行くのは大変でした。というのも、江戸幕府は各地を治める領主の反乱を防ぐために、領主の妻を江戸に住まわせていました。万が一にも、その妻に江戸から逃げられてしまうと人質の効果がなくなる。そのことを恐れて江戸から出る女を厳しく取り締まったのです。その流れを受けて、熊川の番所でも女は厳しく取り締まられました。
ただし、巡礼の場合は例外です。そのときは、仏教の歌である御詠歌を歌うことで通行が許可されることもあったようです。しかし、とある尼さんが関所破りをしようとして磔にされたという記録もあります。果たして、この尼さんとは何者だったのか。どのような任務を帯びていたのか。想像がふくらむばかりです。
さて、この先を少し進めば滋賀県です。熊川は今も昔も国境であり続けています。