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中城城跡
人は自分が信じる物語を 自分で見つけなくてはならない
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人は自分が信じる物語を 自分で見つけなくてはならない
──人は自分が信じる物語を自分で見つけなくてはならない。
14世紀、中城グスクは小さな王国が群雄割拠していた戦国時代に建てられた。東側は切り立った崖で、西側は勾配のきつい傾斜地。高台にあるため周囲を見渡すにも都合がよかったことだろう。
15世紀になると、尚巴志が沖縄本島を統一。首里城を拠点にすると、王命によって「護佐丸」という人物が中城グスクにやってくる。謀反の兆しが見える勝連グスクを牽制するための着任だった。城づくりの名人であった護佐丸は、中城グスクを増築して堅牢な城に仕立て上げ、勝連グスクの動向を監視した。しかし、逆に勝連グスクの城主であった「阿麻和利」の策略にはめられて命を落とすことになる。阿麻和利はすぐさま首里城に攻め入ったが返り討ちにあい、騒動はひと段落した。
その後、中城グスクは代々の王子が暮らす邸宅となり、その時代が長く続いたが、王子の邸宅が首里にある「中城御殿」に移ったあとは役場が置かれることになる。そして時は流れ、1945年の沖縄戦を迎える。島中のグスクが原野になるまで破壊される中、中城グスクは奇跡的に七割以上の姿を残した。それゆえに「王国時代の建物で唯一現存するもの」といわれるほど貴重なグスクとなった。しかし、中城グスクにまつわる資料は、その一切が失われてしまっている。語られる歴史のほとんどが推定の話となることを念頭に聞いてほしい。