東福寺
苔庭と紅葉。東福寺の美を作った4人の男のエピソードとは?
千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
これは在原業平が詠った和歌で、古今和歌集に収められたもの。川に紅葉が散り、水を真っ赤に染める様子に驚く心情を表現したものだ。春の桜、夏の新緑、秋の紅葉や冬の雪景色。日本の自然は四季折々に様々な表情を見せる。日本人は海外から情緒が豊かで繊細な国民性だと言われているが、それは刻々と移り変わる季節の変化によって養われたものではないだろうか。
紅葉の名所として知られる東福寺は11月中旬から12月初旬にかけ、紅葉で真っ赤に染め上げられる。日本の秋を楽しむならばここは外せない場所だろう。また、東福寺には昭和に活躍した作庭師、重森三玲(しげもりみれい)が手がけた庭があり、景観に関して京都では指折りの寺だと言える。
ガイド作成のために住職にお話を聞くと、これらの優れた景観ができあがる背景には、幾人もの人々の物語があったという。それはどのように作られたものなのだろうか?東福寺の景観を語るにあたり、4人の男の存在は欠かせない。九條道家(くじょうみちいえ)、聖一国師(しょういちこくし)、明兆(みんちょう)、そして重森三玲だ。まずは東福寺が創建された時代までさかのぼり、その歴史を紐解いてみよう。