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今帰仁城跡
敗者の歴史はどこに消えた?
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敗者の歴史はどこに消えた?
──琉球王国が生まれる前の戦国時代。この島は「北山」「中山」「南山」の三国に分かれて争っていた。今帰仁城の歴史を3行で表現してみよう。
13世紀ごろに築かれて「北山」の拠点として栄える。
15世紀に中山に敗れて監守が置かれるようになる。
17世紀に薩摩に敗れて城内から誰もいなくなる。
これだけを見れば、今帰仁城に残されているのは「敗者の歴史」といえるかもしれない。ただし、弱者であったわけではない。北山には那覇港に負けない運天港があり、奄美群島を支配下に置くほどの勢力を持っていた。今帰仁城もまた難攻不落であり、正攻法では落とせないほど堅牢であった。
しかし、運命はいたずらだ。天下分け目の戦いで北山は敗者となった。勝者となった中山は南山も倒して本島を統一。琉球王国を立ち上げることになる。が、その後も琉球王国は今帰仁城に王族の中から「監守」を派遣した。依然として、今帰仁城は南北を分かつ重要な拠点であったからだ。のちに琉球王国を支配しようとした薩摩もそのことをよく知っていた。そこで南部の首里城を落とす前に、北部の今帰仁城に攻め入ったのだ。
ぼくたちは、これらの時代にまつわる物語を中心にガイドしたいと思う。しかしその前に。今帰仁城には案内人となってくれる人がいる。365日、2名のガイドさんが常駐していて、ひとり旅でも待ち時間なしで(他の人を案内中でなければ)無料でガイドしてくれるのだ。
ON THE TRIP を使うのはその話を聞いてからでも遅くはない。ぜひ券売所で問い合わせてみてほしい。