¥0
十津川村
「ガイド聞いたよ」その一言から 思わぬ物語が始まるかもしれない
¥0
「ガイド聞いたよ」その一言から 思わぬ物語が始まるかもしれない
日本一長い路線バスで片道4時間30分。あまりに秘境すぎる十津川村。
例えば、村の中に「果て無し」の名を持つ集落がある。行けども行けども山道に果てが無いことから「果無」と名付けられた、と、地誌は言う。一方で、こんな話も伝えられている。年末=ハテの時期になると、旅人を喰う怪物が現れる。それを恐れて山から誰もいなくなるから──
果たして、この最果てとも言える村にどんな物語が残されているのか。どんな旅の体験が待っているのか。そして今、どんな人たちがこの地で暮らしているのか。実際に聞いてみると「日本にまだこんなところがあったのか!」という驚きの連続だった。
あなたもこのガイドを使って、その人に会いに行ってみてほしいと思う。「ガイド聞いたよ」という一言から、思わぬ物語がはじまるかもしれない。
丸太の上に乗り、まるでサーフィンのように川下りをする男。山で切り倒した木材を下流まで運んでいるのだろう──キリダスで目にした一枚の古写真。自然と対峙してきた十津川の人たちの生き様が凝縮されているような光景に、ふと、村長さんに聞かせてもらった話がオーバーラップする。その瞬間、十津川村で聞かせてもらった数々のエピソードが、ひとつの物語となるような“うねり”を感じた。それはまるで歴史という時間の波に飲み込まれるような想像体験だった。
十津川村の人たちは奈良時代より前から天皇に仕えていたといわれ、数々の剣豪を生み出してきた里である。そして、江戸時代末期。倒幕して天皇を中心に日本を立てなおそうと天誅組が動き出す。天誅組には十津川村の人も参加していたが結果的に失敗に終わる。ある意味で天誅組は急進的すぎた。天皇もまた天誅組のやり方を認めず、別のやり方で明治維新に向かっていくのだが、その際にも十津川村は天皇がいる京都御所を護衛するために300名もの人たちを送り出した。彼らは十津川郷士と呼ばれた。しかし、彼らが京都に行くには莫大な費用が必要だった。そのお金をどうしたか。自分たちの山を切って旅費や京都での生活費にあてたのだ。それにより十津川村の山はあたり一面がハゲ山となった。
そうして山の地力が落ちていたところに台風による豪雨が襲いかかる。1889年の大水害である。十津川村は壊滅的な被害を受けた。「この村にはもう住めない」と当時の村民の4分の1にあたる2600人が蝦夷地への移住を決意した。それが現在の新十津川町だ。そして、この地に残ると決めた人たちは移住者のためにお金になるものはぜんぶ持たせたという。
それから100年後。戦後の高度経済成長を背景に全国的に建築の需要が高まっていた。十津川村の人たちは再び自分たちの山の木を切り倒してかつ大量のスギやヒノキを植えていく。これは十津川村に限った話ではないが、高まる需要を見越して日本の山という山がその形を変えていったのだ。しかし、突如として好景気は終わり、不景気の時代に。山は行き場をなくしたスギやヒノキで覆われていた。そのときである。
再び十津川村を台風が襲うのだ。それが、2011年の紀伊半島大水害。今度は植えすぎが仇となった。不自然なスギやヒノキの山では土地がやせてしまう。再び地力が落ちていたのだ。この大水害では260haが山崩れでつぶれたという。どれほどの被害なのか。それは現在の十津川村を見ればわかる。現在も水害の傷跡はカサブタのような茶色い姿で表れているのだから。
もしも、山とちゃんと向き合っていれば、これほどの被害を受けることはなかった。そんな想いから、現在の十津川村では林業を軸にしたプロジェクトがあちこちで進んでいる。時代は田舎を見つめなおすフェーズに入り、十津川村では当たり前として残っていた湧き水や食文化、手つかずのまま残された絶景や神社にも注目が集まっている。
ぼくたちは現地の人たちに会いに行くことでその一端にふれることができた。そして、十津川郷士が京都に出ていたことでいち早く廃仏毀釈に備えることができた玉置神社の姿や、移住者が増えている谷瀬の集落としてのあり方。それらが複数の語り手により見えてきたり、十津川の川太郎の血を継ぐ娘さんが、また別の人の話でつながってきたり。そうして、聞けば聞くほど物語は一本の大河になるように連なっていったのだ。
あなたも、ON THE TRIP のガイドをとっかかりに、現地の人たちとの会話を重ねてほしいと思う。そして、ひとりひとりに聞かせてもらった話が一本につながる、その“うねり”を体感してほしい。
十津川村は日本一広い村である。対して、ぼくたちの旅は4泊5日。現地のさまざまな人に話を聞かせてもらったが、次々と浮かび上がる「気になる!」を、ぼろぼろと取りこぼしながら十津川村を駆け抜けることになった。
とはいえ、「取材だから特別な旅をしてるんでしょ?」と思われるかもしれない。が、そうじゃない。ぼくたちは「Tomodachi Guide」の日常にお邪魔しただけ。
Tomodachi Guideとは、まるで友達のように現地を案内してくれるガイドさん。ぼくたちを案内してくれた角田さんと三浦さんは、実際に十津川村で暮らしながら現地の人たちとふれあい、その絆を深めている。だからこそ、短い期間でも密度のある旅を、あるいは普通では辿り着けない深部にまで導いてくれる。外国からの旅人であればTomodachi Guideが通訳として村人とのあいだも取り持ってくれることだろう。
つまり、この旅はあなたにも体験できる。むしろ、ぼくたちも知らない、ぼくたち以上の体験が待っているはずだ。たとえ、Tomodachi Guideに会えなくとも。このガイドがTomodachi Guideの代わりになれたら嬉しい。
ON THE TRIP. ぼくたちの旅はつづく。