宗茂 奇跡の復活を果たした唯一の大名

御花の歴史をたどるなら、まず足を運ぶべきは立花家史料館。ここには立花家が受け継いできた、数々の伝来品がある。かつて立花家のような大名家は全国にあったが、彼らが所有していた伝来品の多くは、明治維新や第二次世界大戦の混乱の最中に失われてしまった。立花家ほどまとまったコレクションが残っているのは、今ではとてもめずらしい。

柳川と立花家の歴史はおよそ400年前、立花宗茂の時代にはじまる。腕のある武将だった宗茂はその実力を認められ、柳川城を任される。政治にも優れ、柳川の人たちからの信頼も厚かったという。

ところが、宗茂は天下分け目の関ヶ原の戦いで西軍につき、敗北する。日本はこの戦いに勝利した徳川家康の時代となり、宗茂は柳川を去ることになった。

領土も地位も失った宗茂だが、決して絶望はしなかった。家臣へ宛てた手紙には、「なに、そのうち大名に戻れるだろう」と書いていたそうだ。実際、5年後には宗茂は別の地に小さな領地を与えられ、大名に復帰している。さらにこのあと、その人柄と確かな知識が認められ、関ヶ原では徳川方と争った立場ながら将軍の教育係にも任命された。もう一度、言おう。かつては敵として戦ったはずの宗茂を、あえて将軍が懐においたのである。どれほどの人物だったのか、想像してみてほしい。

それから幕府の信頼を積み重ね、あるとき宗茂は柳川へと戻るチャンスを得る。この地を守っていた大名の後継ぎが途絶えたのだ。宗茂は、じつに20年ぶりに柳川の地へと戻ってきた。柳川藩主に返り咲いた宗茂は、真っ先に妻を弔う寺を建てた。宗茂は、「墓には欠かさずお茶を供えてやってくれ」と、手紙で伝えていたという。さらに、普通は領地に入った時は前の領主の墓は壊してしまうものだが、宗茂は大切に保護したそうだ。ここからも、宗茂の人柄がうかがえる。

関ヶ原以降、もといた領地に戻ることができたのは、数々の大名のなかで宗茂ただひとりだった。宗茂は「100年後まで何かを残したい」と考えてはいなかったかもしれない。しかし、報われない状況でも希望を失わず、今できることに取り組んだことが、奇跡的な柳川への帰還につながったのかもしれない。

あなたの場合は、どうだろう。今、諦めずに向き合い続けていることはあるだろうか。そこに、100年後に繋ぎたいもののヒントがあるかもしれない。


現在の展示作品の解説はこちらから
https://artsandculture.google.com/story/NwWxV5lIzobRIg?hl=ja

立花家史料館公式HP 
http://www.tachibana-museum.jp/

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