小豆島といえば「オリーブ」。今ではそう答える人が多いことでしょう。小豆島はオリーブ発祥の地です。次の目的地である「小豆島オリーブ公園」に向けて、オリーブの長い物語を紐解いてみましょう。
オリーブの起源はさかのぼること約8,000年前、地中海沿岸に自生していたといわれています。やがて古代ギリシャで栽培がはじまるのですが、人々はオリーブを黄金の液体と呼び、食べるのではなくオイルとして、つまり生活や儀式で身を清めるために使っていました。古代エジプトでもオリーブオイルを髪や顔、足に塗った者だけが神像に近づくことを許されたといわれ、昔は体にオイルを塗ることが来世に近づくための方法として考えられてきたのです。
さらにオリーブオイルはランプの炎として使われるようになり、人々に光をもたらしたことから、神様が存在することの印だとされました。というのも、オリーブオイルはほかのオイルと比べて、はるかに出る煙が少なかったのです。
「オリーブの木を切ったり焼きはらったりしても、すぐに新しい枝が出てくる」そう言ったのはソポクレスですが、オリーブは長い年月をかけて成長し、ほぼ永遠に生きつづけることから「生命の樹」といわれています。
だからこそ、古代オリンピックで優勝者にオリーブの冠が贈られるようになり、ノアの方舟の神話では鳩がオリーブの枝を加えて戻ってきたことで洪水が収まり、世界の平穏が訪れたことを告げられたりと、平和や豊穣、再生の象徴とされるようになっていき、今では国連のシンボルにもオリーブが使われています。
そんなオリーブが日本にやってきたのは400年前、ポルトガルの宣教師によってもたらされました。そのときは日本に根づかなかったのですが、明治時代に日露戦争に勝利した日本は漁獲量が増加して缶詰に使うオリーブオイルが大量に必要になりました。そこで、国をあげてオリーブ栽培に力を入れることになり、三重県と鹿児島県、そして香川県のここ小豆島でオリーブの試験栽培がはじまりました。しかし、栽培に成功したのは小豆島だけでした。それは一体、なぜなのでしょう。
一言でいえば、小豆島が地中海の気候にいちばん似ていたからです。みなさんも感じておられるであろう温かい気候や、雨の少ない気候がオリーブに向いていたのです。しかし、完全に同じではありません。
地中海ではオリーブの花が咲く時期は乾季なのですが、日本ではちょうど梅雨の時期と重なります。受粉の時期にもかかわらずジメジメした日が続くことで、花粉が飛びにくく受粉もしづらいほか、受粉したとしても赤ちゃんの実が腐って落ちてしまうのです。さらに害虫に悩まされたり、台風で木が倒れたりしながらも、当時の人たちは苦労しながらオリーブの生産量を増やしていきました。そして、ようやくその努力が実が結んだ結果、オリーブは小豆島の名産品として広く知られるようになったのです。
みなさんはオリーブの実を生で食べたことはあるでしょうか。実は、オリーブの実は渋くて、猿も食べないといわれます。そこで、オイルを搾油するわけですが、オリーブオイルはふつうの植物油と違って精製処理をしません。手を加えないからバージンオイルと呼ばれているのです。そのため、果肉にふくまれる栄養分がそのまま残っています。たとえば、オレイン酸は悪玉コレステロールを減らして、動脈硬化を防ぐ働きがあります。ポリフェノールやビタミンEも豊富で肌にいいともいわれます。とりわけ小豆島ではオリーブの実をひとつひとつ手摘みしているので品質がよいといわれています。
オリーブ公園にはそうした小豆島のオリーブ栽培について学べる記念館があります。隣接するオリーブ園には樹齢115年の日本最古となるオリーブの原木があるほか、小豆島前島には、樹齢1,000年のオリーブの木もあります。これは、スペインから1ヶ月かけて運ばれてきた大樹なのですが、生命の樹らしく、たくましく小豆島に根付いています。
小豆島はギリシャのミロス島と姉妹都市でもあります。オリーブ公園に到着したらギリシャ神話のアテナ像がお出迎えしてくれることでしょう。アテナはオリーブを作り出したとされる女神です。そして、もうひとつ。オリーブ公園はギリシャ風車があることでも有名です。映画「魔女の宅急便」のロケ地となり、魔法の箒にまだかってジャンプすることで、まるで宙に浮かんでいるかのような写真が撮れます。みなさんもぜひチャレンジしてもらえたらと思いますが、地面がすべりやすいので、くれぐれもご注意ください。
それでは、到着まで今しばらくお待ちください。