護松園は北前船で財を成した古河屋の迎賓館。北前船とは日本海を走る貨物船で、北海道から、青森、秋田、山形、と日本海側を走り、その途中でさまざまな物資を積み下ろしして江戸時代の物流を支えていました。とくに小浜は京都から最も近い海であり、北前船の重要な寄港地でした。そこで活躍したのが古河屋。この町いちばんの商人として、全国の長者番付にもその名前が刻まれています。古河屋はこの「西津」を拠点とし、護松園の隣には古河屋の邸宅や蔵がズラリと建ち並んでいました。

まずは、護松園の見どころをご紹介しましょう。縁側に足を運んでみてください。そこから見る庭園にはすっきりとした開放感があります。なぜ、そう感じるのでしょうか。実は、本来、屋根を支えるために必要な場所に柱がないのです。その代わりに他の柱を見てください。年輪がぎゅっと詰まったその柱は秋田杉の柾目(まさめ)と呼ばれる幹の中心部分を使っています。木の中心部分だけで、これだけの太さがあるということは、元はどれほどの大木だったのでしょう。そのことからも護松園の贅沢さや、古河屋の財力が感じられます。

古河屋は小浜城の城主である酒井家と深い関わりがあり、護松園でおもてなしをしてきました。あるときには、酒井の殿様が古河屋の船に乗って小浜湾を遊覧したといいます。殿様がイチ商人の船に乗るというのはとても珍しいことなのですが、この日のために特別にしつらえた船に乗り、3隻の船で沖に出ました。そして、殿様はほかの2隻に指示を出し、船頭たちはその通りに船を操って殿様を喜ばせたといいます。それから稲庭うどんを食べながらお酒を楽しんで、船で小浜城に帰っていきました。まるで北前船のフルコースというような贅沢な一日です。

古河屋はなぜ、このような財を成すことができたのでしょう。そして、西津はどのように発展してきたのでしょう。その歩みをまち歩きを通して見てみましょう。

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