護松園のそばに古河屋の船玉があります。船玉とは船大工がつくる北前船の精巧なミニチュアで、航海安全を願って神社に奉納するもの。それも、船自体を御神体とし神様としてお祀りする珍しい信仰です。絵馬に比べて船玉は作るのが大変です。そのため、個人ではなく地域を代表して奉納されることが多いのですが、この船玉は古河屋の古河屋による古河屋のための奉納船。自分たちが乗っている船そのものが神様になるのですから、まるでノアの方舟に乗っているかのように航海できたことでしょう。

とはいえ、次の宗像神社の船玉に比べると、素朴で質素な船玉です。古河屋はまさにそんな商人でもありました。北前船といえば、大航海をして一発当てるハイリスク・ハイリターンな商売が想像されますが、古河屋は小さな船をたくさん走らせて数で稼ぐ。そんな堅実なスタイルで商売を安定させました。さらに、北前船の収益に頼らず、金融業や酒造など多角経営をして分散投資。それらの商売は分家に任せていたのですが、年に一度、古河屋グループは一堂に会して総決算をします。そのとき、すべての事業の利益をひとつにまとめた上で各家に分配したのです。

そうした合理的な経営哲学があったからこそ、小浜でいちばんの商人として9代に渡る経営を続けられたのでしょう。後継ぎに関しても養子が多く、血縁にこだわらない判断がなされていました。上に立つものには「船頭をはじめとするスタッフを大切にしなさい」と家訓を伝え、船頭たちにもまた「信頼が第一であり、目先の利益に惑わされてはいけない」という教えが徹底されていました。というのも、船長は出来高制のため海が荒れていても船を出したがります。しかし、それにはリスクが伴うので、出港の判断は船員みんなで話し合って決めるというルールをつくっていたのです。

まだ航海が安定していなかった時代です。北前船は一度でも沈没すると大赤字。命を失うことにもつながります。だからこそ、船玉を祀る信仰が強くこの地に根付いているのでしょう。

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