海沿いには漁港があり、漁師の作業小屋があります。男は網を直したり、女は魚を加工したり、それを小鯛のささ漬けの業者が引き取りに来たり。漁師町としての歴史は現在まで続いています。
室町時代には海外からの南蛮船も西津を目指してやってきました。たとえば、時の将軍に献上するために運ばれてきた象はインドネシアから中国を経由して、このあたりに上陸したといわれています。実は、この象が京都に運ばれていった後、その船は台風でボロボロになってしまったのですが、たった1年で修復して帰っていったという記録も残っています。西津には、世界に通じる港としてふさわしい技術者が揃っていたのかもしれません。
なおかつ、北前船という名前で呼ばれる前から東北の貨物船が着岸していました。その東北を取り仕切るリーダーとタッグを組んで、小浜を中心とする日本海の交易は、北は北海道から、南は琉球や東南アジア全域に広がっていたのです。そして、海の交流を通じて漆塗りのお盆がもたらされたことが若狭塗のきっかけとなるのです。