海岸を歩いていると、こんな音が聞こえてくるかもしれません。これは若狭塗のお箸を削っている音です。現在は西津で漁師をする人は減っており、箸を作っている人が多いのです。それもそのはず。日本の塗箸のトップシェアは若狭の箸で、そのほとんどが西津で作られています。
若狭塗の歴史は古く、江戸時代に北前船の船主が中国の漆塗りのお盆を持ち帰ったことがはじまりです。それから、とある職人が、砂浜に打ち寄せる波を見て、その美しさを再現すべく貝殻を使い、漆を何重にも塗り重ねて研ぎ出すという独自の技術を生み出しました。それを酒井の殿様が「若狭塗」と名付け、小浜藩の特産品として保護、奨励していったといわれます。
そのころの若狭塗は、お箸ではなく、茶道具や刀の鞘などの嗜好品を作っていました。若狭塗の技術は北前船によって津軽に伝わり、津軽塗のルーツになったともいわれます。北前船の寄港地には輪島塗などもあり、それぞれが各地の技術を取り入れながら切磋琢磨していたことでしょう。
お箸はといえば、本格的に作られるのは明治になってから。そのころには嗜好品より生活必需品のニーズが高まります。同時に北前船にも衰退がみられ、古河屋に転機が訪れます。そして、すべての船を売り払い、完全に赤字になる前に廃業に向けて舵をきるのです。その判断は最後まで合理的でした。そして護松園が今に残ることになるのです。