江戸時代になると「雲浜」と呼ばれる浜に小浜城が建てられます。
やがて城主となった酒井忠勝は徳川家の老中であったほど、徳川家と近しい人物でした。かつて世界に通ずる港であり、北前船の重要な寄港地となるこの場所は、徳川家が日本をまとめるにおいて、それほど重要な場所だったのかもしれません。それから幕末に至るまで一貫して酒井家が小浜藩を治めていたことからも信頼の厚さが伺えます。そして、その信頼に応えてきた酒井家は幕末に苦労をすることになります。
徳川家と酒井家の関係は、酒井家と古河屋の関係に似ているかもしれません。酒井の殿様が護松園に訪れるほど、酒井家から絶大な信頼を得ていた古河屋は、藩の財政がピンチになるたびに金の工面に迫られ、古河屋もまたそれに応じます。そうして、最後の最後まで応じ続けた結果、船を売り払ってまで藩の財政を支えることになり、廃業に追い込まれてしまうのです。