かつて、その神様は「若狭彦」と名のり、鵜の瀬にある白石(しらいし)の上に降臨しました。それも白馬に乗った「唐人」の姿で。それから神宮寺を仮の住まいにするなど移動をして、この場所に落ち着き「若狭彦神社」ができました。それから数年後、同じ白石の上に、今度は豊玉姫があらわれて「若狭姫神社」ができました。そして、ふたりは子供をもうけるのですが、産屋の屋根を鵜の羽で葺こうと準備していた途中で生まれたことからウガヤフキアエズと名付けられました。

この物語を紐解くと、どんなことが分かるでしょうか。ひとつは、若狭彦は唐人の、つまり外国人の姿をしていたことです。その点からも若狭彦は外の世界からやってきた神様であることがわかります。もうひとつは、若狭彦が辿ってきた経路です。その話をする前に、若狭彦神社の門の前に遥拝所があることに気づいたでしょうか。遥拝所とは、遠く離れたところから神様を拝む場所。実は、若狭姫神社にも遥拝所がありました。それは若狭彦神社のほうを向いています。では、若狭彦神社の遥拝所は、どこを向いて拝むのでしょうか。

それは、神宮寺です。神宮寺は奈良の平城京に似た瓦が発掘されているくらい、都の影響を受けています。つまり、中央政権である都に向かって拝む構造が見えてきます。それは、若狭彦が辿ってきた経路とリンクします。若狭彦は、鵜の瀬から神宮寺、若狭彦神社、若狭姫神社と順番に移動してきました。つまり、海からではなく、都がある南側から来ています。とすれば、新しい神様が奈良から派遣されて来た。そして、南側から少しずつ遠敷の里に近づきながら勢力を拡大していき、その過程で、古くからいた遠敷明神を取り込み、融合していった。そう考えることができるのかもしれません。

この道の先には神宮寺があり、鵜の瀬があります。そして、さらに進めば、京都や奈良の都があります。あなたが進んでいる道は古くから都に通ずる古道であり、神が来た道をさかのぼっているといえるのです。

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