神宮寺から運んできた聖なる水は、この川に注ぎ込まれます。そして、しめ縄の下にある淵に吸い込まれ、奈良まで続く地下水路を通って運ばれていくといいます。

そんな鵜の瀬には、鵜という水鳥が生息していました。山幸彦と豊玉姫の間に生まれた子供の名前がウガヤフキアエズであったように、鵜は神聖な鳥とされてきました。というのも、鵜は魚をのみこんで、そのまま生で吐き出します。そのことから「生まれ変わり」や「不老不死」の願いが託されてきたのです。神話の中で、遠敷明神がお水送りを約束したときにも鵜があらわれました。そのことからも若狭の水に不老不死の願いが込められていることがわかります。

なぜ、若狭の水に不老不死を求めたのでしょうか。それは、若狭が都にとっての海であり、仏教が伝わる前から塩や魚を送り、天皇の食事を司る御食国であったから。そしてもうひとつ。「おにゅう」はかつて小さいという字に丹が生まれると書いて「小丹生」という字でした。丹というのは水銀のことです。今となっては信じられないかもしれませんが、水銀は当時、不老不死の薬であると考えられていました。水銀は水のような液体ながら腐敗せず永久不変。熱すると血液のように赤くなることからも、神秘的だったのかもしれません。遠敷はそんな水銀の産地であり、丹が生まれる場所だった。だからこそ、若狭の水を不老不死の象徴として追い求めたのかもしれません。その証拠に、お水送りの儀式の中でも赤土を、つまり水銀をなめる風習がふくまれています。さらにいえば、東大寺の大仏はかつて金色に輝いていたのですが、その金メッキのために大量の水銀が必要であったともいわれています。何より、若狭という名前自体がヤング、つまり「若さ」をあらわしているではありませんか。

この道をさらに進めば、一晩で京都に、そして奈良の都に続いています。実は、この道がいちばん古い鯖街道と言われていますが、事の始まりは仏教を運んだ仏教伝来の道。都からすれば、不老不死へと続く道だったのかもしれません。

Next Contents

Select language