多田寺の御本尊は薬師如来です。きらびやかというより、素朴なつくりであることが古い時代の仏像であることを示しています。目のまわりを見ると、色が変色しています。なぜでしょうか。この多田の薬師さんは目を治してくれるといわれ、たくさんの人たちが目のまわりを触って願いをかけてきたからです。今も昔も目は悪くなりやすいもの。メガネもない時代でしたから、目に関して悩む人が多かったのかもしれません。

多田寺の真の宝物は近くにあるからこそ見えにくいものです。というのも、多田寺の真正面に多田ヶ岳があります。多田ヶ岳は海から見ると富士山のような象徴的な姿をしています。だからでしょうか。若狭には古くから多田ヶ岳という山を御神体とする信仰がありました。その山の神様こそが、あの遠敷明神だったのです。なぜ山を神様としたかといえば、命の源である水が多田ヶ岳からもたらされるから。そんな山だからこそ御神体となり、神様である山と人々が暮らす里の境目に神社をつくり、神聖な山を守っていました。それは仏教と融合して寺になっても変わりません。だからこそ、たくさんの重要文化財がこのあたりに集中しているのです。

多田寺は多田ヶ岳の名を持つ寺であることもからも、若狭における最古のお寺に近いです。その山の神様である遠敷明神の水が若狭の暮らしを支えてきたのです。だからこそ、お水送りの物語も受け入れられ、現代まで語り継がれているのかもしれません。

若狭の宝はなぜ残っているのか? その理由がまたひとつ見えてきます。若狭には多田ヶ岳を中心とした古くからの信仰があり、仏教と融合してからも遠敷明神の存在が残るほど信仰心が強い地域でした。もしかすると、若狭の人たちには自分たちが祈ることによって天皇の食を支え、全国の命を支えているという、日本を代表するような誇りを持っていたのかもしれません。

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