妙楽寺もまた多田ヶ岳の山を御神体とする場所にあります。奈良時代に行基というお坊さんが来たときに千手観音像を祀り、平安時代に空海が来たときにその千手観音像を拝み、お堂を整えたと伝えられています。

そんな縁起があるからでしょうか。妙楽寺の千手観音像は長いあいだ秘仏とされ、つい最近まで、33年に一度しか見ることができない貴重な仏様でした。それゆえに金箔が残り、今なお黄金に輝いているのです。そんな秘密の宝物を間近に見ることができるのですから、現代の人は幸運であるといえましょう。

その仏様には千手観音という名前の通り、千本の手があり、すべての人に救いの手を差し伸べています。そして、そのお顔を見ると、十一面どころか二十四面という全方位であらゆる人を見守っています。ひとつひとつ表情を見ていけば、きっとその中にあなたの内面と響き合い、悩みを救い出してくれるようなお顔が見つかるかもしれません。

そんな仏様の裏側には「遠敷明神」と書かれた扁額が残されています。それは、一体、なぜなのでしょうか。

若狭姫神社にも「遠敷明神」と書かれた扁額がありました。おさらいすると、この地にはまず多田ヶ岳という山を神様とし、遠敷明神として崇める信仰がありました。しかし、ある日、奈良の都から仏教が伝わります。その新勢力は、鵜の瀬から神宮寺、若狭彦神社、若狭姫神社と少しずつ遠敷の里に近づきながら勢力を拡大していき、その過程で、古くからいた遠敷明神を取り込み、融合していきました。メインルートから少し外れた妙楽寺でも、少し遅れて同じような出来事が起きていたのかもしれません。

妙楽寺は本堂も重要文化財。明通寺に次ぐ最古の建物といわれています。鎌倉時代の建物が残っているということは、戦国時代の内戦に呑み込まれなかったということ。戦争や災害が少ないことも、若狭の宝が残っている理由といえるでしょう。

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