あるとき、この場所に鳳凰が飛んできて、羽根を残して飛び去りました。その羽根を天皇に届けたところ、それは平和の証であると喜んで、有名なお坊さんである行基にお寺をつくらせました。そして、羽を喜ぶという由来から羽賀寺という名前になりました。
羽賀寺にある重要文化財、十一面観音像の右手は異様に長く、困っている人たちを救おうと言わんばかりに手を差し伸べています。多田寺の素朴な仏像に比べると雅であり、清少納言や紫式部が活躍した平安時代のうららかさが感じられます。
しかし、ここでもあえて、薬師如来に注目してみましょう。十一面観音の裏側には薬師如来が祀られています。なぜ、若狭のお寺には薬師如来が多いのでしょうか。若狭彦神社にも神宮寺にも国分寺にも多田寺にも薬師如来が祀られていました。病気になれば祈るほかなかった時代です。食を司る御食国として、また不老不死の水を送る聖地として、人は若狭に薬師如来を求めたのかもしれません。
この薬師如来は、もともと西津という港町にありました。しかし、明治の廃仏毀釈を機に羽賀寺に移されました。日本のお寺は廃仏毀釈によって壊滅的な被害を受けましたが、信仰心の強い若狭では廃仏毀釈を免れた仏像がこうして他のお寺に移されるなどして守られてきました。これもまた若狭に宝物が残っている理由のひとつでしょう。
西津はこの山のふもとにあります。北前船の交易で栄え、東北地方と深い関わりがあった港町です。西津で盛んな若狭塗は津軽塗と共通点が多いともいわれます。そして、この羽賀寺の本堂は室町時代に建て替えられたものですが、それは東北の人たちによる寄付によって完成したと伝えられています。