明通寺の本堂と三重塔は国宝です。鎌倉時代の建物ですが、当時の柱は赤色で模様も描かれおり、とてもきらびやかな建物でした。というのも、このころ若狭でいちばんの勢力を持っていたのが明通寺で、民衆の信仰を集めていました。明通寺には「寄進札」という木の札がたくさん奉納されています。そこには「お金やお米をこれだけ納めたのでどうか願いを叶えてください」というようなことが書かれており、鎌倉から江戸時代にかけて400枚ほど残っています。どうしてそれだけの寄付ができたのかという点までさかのぼれば、大陸や北前船の交易による富でつくられたのが、この国宝であるといえましょう。

しかし、明通寺の歴史は鎌倉時代にはじまるわけではありません。これまで話してきた変革期の時代に、征夷大将軍、坂上田村麻呂が創建したといわれています。坂上田村麻呂は武芸に優れ、東北を攻めて成功させたことで有名です。坂上田村麻呂は、戦争で亡くなった東北の人たちを供養するために清水寺を建てたことで知られますが、時を同じくして若狭に明通寺を建てたのです。

そのころの建物は火災に遭い、本尊も焼失してしまいました。それでも、現在の本尊である薬師如来は平安時代の終わりのもので、樹齢千年はないと彫ることはできないといわれる大きな檜の一木造り。仏像に比べて残りにくい建物もまた鎌倉時代の再建時のまま残っています。

若狭の宝はなぜ残っているのか? お寺や仏像を守っていくにはお金がかかります。でも、若狭には富を生み出す港町の繁栄がありました。そして、民衆の強い信仰に支えられていたからこそ、残っているといえるのかもしれません。

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