もとは「極楽寺」と呼ばれ、多田ヶ岳が遥拝できる場所にありました。それから戦国時代になると駆け込み寺として罪人が集まり更生する場所として隆盛を極めます。しかし、火災に遭い、その後、名前を萬徳寺とあらためて、江戸時代には小浜藩主の酒井家によって現在の場所に移されます。その後は小浜藩の安定を願う場所となり、酒井家の別荘のようにも使われました。そのことから立派な庭園があることでも知られています。

時代によって、さまざまに変化してきた萬徳寺ですが、本尊は極楽寺という原点をあらわすような阿弥陀如来です。その名前の通り、あらゆる人を極楽に連れて行ってくれる阿弥陀如来は、罪人に救いを与え、藩主に安心を与えたことでしょう。

神宮寺、国分寺、多田寺、羽賀寺、明通寺、妙楽寺、圓照寺、萬徳寺。「小浜八ヶ寺」と呼ばれるこれらの寺には国宝や国の重要文化財があります。しかし、八ヶ寺もまた、ほんの一部にすぎません。若狭にはまだまだたくさんの寺社仏閣があり、約260の指定文化財が点在しています。若狭の宝はなぜ残っているのか。その答えはひとつではありません。ぜひ、自分だけの答えを探して旅を続けてもらえたらと思います。

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