かつて若狭の中心は遠敷の地域にありました。それから海岸線が伸びていくにつれて、町の中心が小浜に移っていきます。江戸時代に小浜城ができると、それは決定的となり、城下町に小浜西組や小浜市場が整えられ、発展していきます。そこに、ひっそりと佇む洞窟には「若さ」にまつわる、とある伝説が残されています。

むかしむかし小浜で美しい女の子が生まれました。すくすくと育った女の子はある日、父親が竜宮城から持ち帰った「人魚の肉」を口にします。すると、不思議なことに何年経っても16歳の姿のまま、年老いることがなくなりました。そして、120歳になったころ、出家して尼さんとなり、全国各地で椿を植えながらさまざまな奇跡を起こします。やがて、800歳になったころ。時は室町時代、京都で目撃された尼さんは醜い老婆の姿になっていました。親しい人に先立たれてもなお、自分だけが生き続けることに疲れたのでしょうか。それから故郷の小浜に戻り、この洞窟に入り、「この椿が枯れたら成仏したと思ってください。」と言い残し、そのまま出てくることはありませんでした。

この尼さんは「八百比丘尼」と呼ばれているのですが、室町時代に最後に目撃されたのが800才であったとすれば、時をさかのぼると、東大寺へのお水送りがはじまった時代と重なります。しかも、鵜の瀬は八百比丘尼が生まれた場所といわれ、墓石も残っているのです。さらに、鵜の瀬の白石神社は椿に覆われていて、お水取りで最初に献花するのも椿の花です。もしも、八百比丘尼が若狭姫であり、歴史のはじまりの生き証人だとすれば──果たして、八百比丘尼とは何者なのでしょうか。フフフ。

・続きはこちらから
https://redirector.on-the-trip.com/redirect?spot_id=547

Next Contents

Select language