サクラは純潔を求められる。たとえば、ここにある「染井吉野(ソメイヨシノ)」にもサクランボの実がなる。しかし、その実を植えて生まれたサクラは「染井吉野」とは呼ばれない。交配して生まれた種には別のサクラの血が混じっているからだ。逆に言えば、全国にある染井吉野は、すべてクローンであると言える。一体、どういうことか? その答えは「接ぎ木」。ほかの木の根っこの上に染井吉野を移植するのだ。ちなみに、新宿御苑で最も数が多いのは染井吉野だが、新宿御苑を代表するサクラは2番目に多い「一葉(イチヨウ)」。花の中央に長い雄しべが1本あるのが特徴だ。内閣総理大臣主催の「桜を見る会」も一葉の見頃にあわせておこなわれることが多い。
「染井吉野」美しい名前だ。ぼくはこの文字を見たとき、奈良・吉野の里山を一面に染めあげるサクラが見えた気がした。しかし、吉野にあるのは別種の山桜(ヤマザクラ)。染井吉野は、江戸の染井村にいた職人が育てたもので、吉野をイメージして名付けられたという。しかし、最近の研究で、染井吉野は山桜と大島桜の血が混じった雑種であることがわかってきた。何が言いたいかといえば、想像は当たらずしも遠からず。それに、花が咲いていなくても花見はできるということ。少なくとも、名前やその文字を見ているだけで思い描けるサクラがある。たとえば、大提燈、手毬といった花のかたちを想起させるもの。松月、雨宿、といった情景を感じさせるもの。妹背、楊貴妃といった女性を思わせるもの。御座の間匂、天の川なんてものもある。日本人がいかにサクラの風景を心の目で見ていたか。それが、わかるようではないだろうか。