ポリカーボネイト製の波板の内側に、麦藁が詰められています。ヘルジアン・ウッドのレストラン、The Tableの壁は、他では見たことがない構造です。
この藁は、近隣の農家からもらったもの。それを2年間干して、断熱材として壁の中に詰め込んでいます。数年後、もしもこの藁が傷んだり、乾燥して縮んだりすることがあれば、波板を外して新たに藁を入れ替えればいい。この建物は〈村〉の人たちが、身の回りにあるものでメンテナンスして暮らし続けられるようにつくられています。
The Tableでは、ハーブを中心にした食やドリンクをコース仕立てで提供しています。コンセプトは「Farm to Table」、そして「Field to Table」。店内からは、施設内のハーブ畑や田園、立山連峰、そして遠くに富山湾が見えます。
食材の多くは、富山県産にこだわっています。「あの海から今朝あがってきた魚です」「その山で仕留めた猪です」「この田んぼで獲れたお米です」。あこ、そこ、ここ。そんなふうに、食材がどこから来たのかを指差して説明できます。目の前のひと皿と、この大地がつながっていることを体感し、じっくり味わえる場所なのです。
The Tableでは、富山の自然や歴史、文化を織り込んだ、ここでしか味わえないガストロノミーを提供しています。
富山には標高3000m級の立山連峰をはじめとした北アルプスと、水深1000mに達する富山湾があります。わずか56kmの距離に4000mの高低差があるダイナミックな地形は、世界的にも類を見ないものです。
日本海には800種類の魚がいると言われますが、富山湾には1年を通して500種類の魚が棲息しています。大豪雪地帯の立山からは、複数の川や地中に染み込んだ伏流水が絶えず海へと流れています。森の成分や酸素がたっぷりと含まれた水が注ぎ込むことで、水深1000mの富山湾は魚たちにとって快適な環境になっています。
「海は山がつくる」という言葉があります。その言葉通り、この地形が富山の生態系を支えています。そして富山の食材を口にすることは、自然をそのまま味わうことなのです。
富山の歴史を語るうえで欠かせない、薬の話もしておきましょう。
薬が富山の代名詞になった背景には、いくつかの理由があります。ひとつ目が、置き薬のはじまりとして富山県では有名な「江戸城腹痛事件」。富山藩の藩主が参勤交代で江戸城を訪れた時、ある大名が腹痛に苦しんでいました。富山藩主が持っていた薬を飲ませたところ、それまでの痛みが嘘のようにやわらいでいったそうです。様子を見ていた他の大名から「ぜひこの薬がほしい」と要望が殺到し、富山の薬売りが全国に広まっていきました。
ふたつ目が、江戸時代から明治時代の貿易。当時、北海道と大阪を結ぶ北前船の寄港地の一つに、富山がありました。船は寄港する度に商品を売買していましたが、富山藩はここで北海道の昆布を仕入れていました。
富山藩は薩摩藩と手を組み、琉球・中国と密貿易をしていました。そして、昆布を提供する代わりに、中国から珍しい生薬を手に入れていました。この生薬を加工して、薬にしていたのです。
立山信仰も影響しています。山は畏怖の対象として庶民は立ち入ることはできませんでしたが、立山の山奥では、山伏たちが修行に励んでいました。修行の最中に、標高3000mの山中にある多種多様な薬草を摘み、自分たちで加工していたそうです。このことから、薬売りのルーツは、修験者にあるとも言われています。
こうした薬の歴史も、解釈を変えハーブというかたちで受け継がれ、ガストロノミーに織り込まれています。
ガストロノミーでは、口にするもの以外でも富山県の文化を表現しています。料理を載せるのは、富山の土でつくられた越中瀬戸焼の器。手がけるのは、スティーブ・ジョブズに愛された陶芸家の釈永由紀夫さんと、その娘である陽さんです。
The Tableの内装も、伝統工芸の和紙とガラスを使った壁、県の職人による土壁など、富山のものにこだわっています。地域の歴史を織り込んだガストロノミーを、見て、味わって、感じてください。